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浦メシ屋奇談

音楽のこと(特にSwing Jazz)、ミステリーのこと、映画のこと、艶っぽいこと、落語のこと等々どちらかというと古いことが多く、とりあえずその辺で一杯やりながら底を入れようか(飯を喰う)というように好事家がそれとなく寄合う処。“浦メ シ屋~っ!”

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"遅かりし、お富さん!"

聴いておくべき時に聴いた演奏、と
観ておくべき時に見過ごしてしまった映画、のこと。

最近、BSなどで昔見過ごしてしまっていた名画が次々とオンエアされ、新たな楽しみが募っている。
新たなというのは、チャンネルが多いだけに今までのようないわゆる名画だけでは間に合わないらしく、二流三流どころの曰く因縁付の名画(?)にも出会えるのである。
だから番組表を見てこれはという映画は録っておいて、時間のある時に小刻みにでもまめに観るようにしている。

そんな中に、昭和35年(1960年)大映製作の『切られ与三郎』があった。
(断わっておくが、これが二流三流どころの━というわけではない。)
当時どうしてこれを観ていなかったのか分からない。映画そのものに覚えがないから、まったく知らなかったに違いない。
昭和35年と言えば私は高校生になったばかりだが、中学生の頃から映画が好きで、田舎のことで学校で許可したもの以外は観てはいけないのを隠れて映画館へ通っており、小学生のころからラジオでの落語や劇場中継などが好きで、春日八郎の『お富さん』(1954年)の大ヒットもあって知っていればこんなバリバリの芝居ものを放っておく筈が無いのである。

特に当時から好きだった市川雷蔵主演を見過ごしていたとは━
同時期の市川雷蔵の『好色一代男』や『歌行燈』、『初春狸御殿』、『大菩薩峠』、『沓掛時次郎』など結構観ているのに、しかも同じ伊藤大輔監督の芝居もの『弁天小僧』(1958年)は観ており、その翌々年公開の『切られ与三郎』を何故知らずにいたのかが不思議だ。

何故こんなに悔しがるかというと、今回その『切られ与三郎』を観てさすが伊藤大輔(脚本・監督)であり、宮川一夫(撮影)であるとつくづく思ったからであり、芝居と映画の接点をついたというか独特のエンターテイメントとでもいおうか、そしてそれに伴う宮川一夫のカメラがいい。アップが堪らない。
なんでこれを当時観なかったのかと、重ね重ね残念で堪らない。

堪らないもう一つの大きな理由は、お富を演じた淡路恵子である。
当時淡路恵子は25~6歳のはずで東宝に属しており、森繁の駅前シリーズや社長シリーズにバーのマダム役などで出ており、大抵は観ているがあまり気にしてはいなかった。
そう言えば、NHKの日曜日の『若い季節』(昭和36年)の中での、銀座プランタン化粧品の女社長の淡路恵子は良く憶えている。
この程度の印象でしかなかった淡路恵子だったのだが、それから50数年経ってから残念で堪らない思いになったのである。

この映画での淡路恵子のお富の艶っぽさは尋常ではない。
ただこのお富の艶っぽさはもちろん淡路恵子だけによるものではない。脚本・監督の伊藤大輔とカメラの宮川一夫両巨匠によるところが大きいと思う。

我々が良く知るお富と切られ与三郎は━
与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
お 富:そういうお前は。
与三郎:与三郎だ。
━のやり取りでお馴染みの玄冶店の場である。
この後の台詞に━
「お主やぁ、俺を見忘れたか…しがねぇ恋の情けが仇。命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から、巡る月日も三年越し…」と続くのだが、木更津でのお富との出会いから色恋沙汰で命のやり取りをするような危ない目にあいながら、お互いに死んだと思いながらの江戸の玄冶店での再会ということなのである。

この木更津での市川雷蔵の与三郎と、淡路恵子のお富との出会いが何ともいい。
江戸を離れて木更津で新内の流しをしている与三郎の三味線を、やはり江戸から落ちてきていたお富が耳にして、「おや、本筋だよ、この三味線」と気にかけ、次に来たときに呼び上げる。
ここで女は恐い、と避けようとする与三郎を、「太夫、女のあたしに言わせる気かい?」と淡路恵子のお富が迫るのだが、この演出とカメラと淡路恵子の演技が、もうどうしようもなくいい。
このシーンを50数年前の高校生の時に観ていたら、と思うと何とも悔しいのである。

市川雷蔵の与三郎の顔にとまった蚊をお富がとってやり、「今度はあたしの番だ」と左頬にとまった蚊を与三郎に教えとってもらおうとするのだが、その時の淡路恵子の顔の演技が…この年にして、あゝなんてこった!というくらいぞくぞくした。
少年時代に観ていたら、きっと女性観が、いやいや人生観までをも変わっていたに違いない。
映画「切られ与三郎」淡路恵子
あの頃私は高校生のくせして瑳峨三智子(山田五十鈴の娘)にぞっこんだった。
淡路恵子は瑳峨三智子より二つくらい上のはずだから、その二つの差がいろいろと出ているのに違いない。
とにかく、あの頃知っておくべき(?)おんなの艶っぽさだったと今にして思うのである。
そのくらいに凄かった。

音楽、ジャズにも聴くべき時に聴くことができて良かったという演奏がある。
昭和32年(1957年)ベニー・グッドマンのオーケストラとともに来日したピーナッツ・ハッコーを加えて吹き込んだ、鈴木彰治とリズムエースのコンパクト盤『鈴懸の径』が、私にはそうである。
もちろんタイトルの『鈴懸の径』の演奏も良かったのだが、裏面の『I Surrender Dear』(この演奏にはピーナッツ・ハッコーは加わっていない)に、当時中学生だった私はいたく惹かれた。
この『I Surrender Dear』に中学2年の私は恋を、恋の切なさを教えてもらったような気がする。
以来いまだにこの時の『I Surrender Dear』を時々聴いている。
私の音楽(ジャズ)観、いささかオーバーのようだが人生観にも影響を及ぼしているように思う。
昭和32年、レコードとは言えリアルタイムであの演奏に立ち会え、聴くことができて、ホントに良かったと思っている。
その『I Surrender Dear』については、別の時に書いてみようと思う。
鈴木章治とリズムエース「I Surrender Dear」

あの少年の頃、音楽で恋の切なさを知るとともに、映画でその恋の相手となる女性の色濃さを知っていたとしたら…我が人生ももっと面白かっただろうなと思う反面、恐ろしい気がしないでもない。

その淡路恵子も昨年(2014年)1月11日に亡くなられてしまった。
心からご冥福をお祈りいたします。(合掌)
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| 雑感 | 14:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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手向けの笑い。

鐘がゴンと鳴~りゃサ 上げ潮南サ
カラスがパッと出りゃコリャサノサ
ェェ、骨(コツ)があ~るサーイサイ
ぁ、スチャラカチャン チャン、スチャラカチャン!

お盆である。この5月に一番上の兄貴が逝った。新盆である。
兄弟が多い(7人)から一番下の私とは20も歳が違う。だから兄弟と言っても、そこらで 兄貴だ弟だと言っているのとはちょっと感じが違う。

先日四十九日に行って、ハタと気が付いたことがある。
歳がとてつもなく離れているから、その兄貴に影響されていることなど何もない、と思って いた。が、さにあらず━
私が小学校に入るか入らない頃、長兄はもう25を過ぎていた。
その頃はもちろんTVなどなく、どこの家でも一家団欒の娯楽と言えばラジオである。
当時は親父が他県へ、今で言う単身赴任でいなかったから、ラジオ番組の選択権は当然長兄 にあった。
だから20半ばを過ぎた男の選んだ番組に、毎日小学生が付き合っていたわけだ。

大人のドラマ(放送劇)や朗読、さらに劇場中継や寄席からの演芸中継や歌番組等など…
あの菊田一夫の名作「君の名は」(1952年)も、小3で毎週聞いていた。
だから原作の菊田一夫はもちろん、音楽古関祐而、さらに「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションとそれを読む来宮良子の名前まで覚えてしまった。(それから30年ほどして、来宮良子と仕事をしたときは感激したものである。)

その翌年のやはり菊田一夫原作の連続ラジオドラマ「由紀子」も聞いた覚えがある。
同様に「浪花演芸会」、「日曜演芸会」など、寄席番組もしょっちゅう聞いていたから、小学生にして春風亭柳橋(6代目)だの三遊亭円歌(2代目)だの、金馬(3代目)、三笑亭可楽 (8代目)、古今亭今輔(5代目)だの、詳しくなっていった。
もちろん落語に限らず、浪曲、講談、漫才、俗曲、声帯模写、漫談なども大好きだった。
かくて真田小僧ならず、落語に小うるさい落語小僧が出来ていったのである。

そんなことを考えたこともなかったが、そういう意味では私の落語好きは兄貴譲り、いわば兄貴が残して行ってくれた財産なのである。
随分すごい財産を残して行ってくれたものだと、改めてつくづく思う
三代目春風亭柳好
兄貴の新盆の手向けに落語を、と考えたらやはりこれかな!
「野ざらし」、そう「野ざらし」と言えば三代目春風亭柳好だろう。
噺自体もお盆にふさわしいような気がするが(実際は春か秋の噺とされているようだが━)、ラジオで盛んに落語を聞いていた昭和20年代後半、幇間上がりのあのキレのいい歌い調子と言われた口調と抱腹絶倒の面白さが好きだった。
(ただラジオと言ってもNHKであまり聞いた覚えはなかった。後で調べるとラジオ東京=TBSの専属だったらしい)

四方の山々 雪溶けかけて
水かさ増さる大川の上げ潮南に
岸を洗う水の音がザブ~リザブリ

鐘をカンカン ポンポン
叩いて仏になるならば
時計屋の周りはあらかた仏ばかり

等々、柳好の「野ざらし」では妙な歌とか言い回しをずいぶんと覚えたものだ。
枯れ葦を分けて入っていって、野に晒された骨を見つけるのだが、その状況を話す隠居とそれを聞く隣の八ッつぁんとのやりとりの件が好きだ。

隠 そこに一つの髑髏(どくろ)があった。
八 ハハ━、唐傘の壊れたの?
隠 それはろくろだよ!屍だ!
八 ああ、赤羽か!
隠 人骨野ざらしだよ!
八 ハハ━、そうですか、人骨野ざらし!アハハハハ~、ってのは何です?

兄貴は4~5年前から、一度寄席へ連れて行ってくれ、と言っていた。
私が毎年やっている「屋形船で落語を聞いてメシを喰う会」にも以前誘ったこともあるが、その時は体調が悪く来られなかった。
一度、寄席の真ん中で噺家の高座を見せて聞かせて、寄席の雰囲気をたっぷり味あわせてやりたかった。

手向けの笑い。
三代目 春風亭柳好の「野ざらし」である。

| 落語 | 15:46 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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歌う、トランペット。

いつも思うのだが、私は自分自身をジャズファン、というのをいまだに躊躇する。

というのは、私が毎日楽しんでいる音楽は、それほどジャズにこだわっているわけではない。
クラシックはもちろん、ポップスも、カントリーも、シャンソンも、カンツォーネも、ロシア民謡も、日本の民謡も、演歌も流行歌も、浪曲も都都逸も…およそ音楽なら大抵の物は聴く。
ただそんな中でも、ジャズ(トラディショナルなディキシー、スイング系)の世界を彷徨っている時間が多少長いというだけのことである。

いつだったか、高校時代に大好きで盛んに聴いていた「白い渚のブルース」(「Stranger on the Shore」Acker Bilk)と「真夜中のブルース」(「Midnight Blues」Bert Kaempfert楽団)の話を口演奏を交えながら話していると、「へ~、ジャズ・マニアのウラさんもそういうのを聴いてたんだ!」といわれて、自分をマニアだとは思わないが(マニアはこういう、イージー・リスニングを聴かないんだ!?)と、その時改めて思わされたことを憶えている。
tp

高校生の頃、音楽なら何でも聴いていた私も、実は無意識のうちにジャズを特別視しているところがあった。
というのは、中学生の頃からジャズもいろいろと探してきては聴いていた。
だから当時の日本の人気バンドやスター・プレイヤーなどの名前も多少は知っていた。その中に「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」や「原 信夫とシャープス&フラッツ」などで活躍していたトランぺッターの福原 彰(1991年没)の名前を知っていた。
その福原 彰が突然「夜は恋人」(「Mea Cullpa」)という、ジョルジュ・ジューバン(Geores Jouvin)のトランペットで知られるムード・ナンバーを吹き込み、ヒットさせて驚いた。
へー、こんなバリバリのジャズ・マンがこんなお色気ムード・ナンバーをやるのか、と勝手に驚いたものである。
同じようなことが、当時テナーのサム(The Man)テイラー((Sam Taylor)で大ヒットし、お色気ナンバーの代表のような「ハーレム・ノクターン」(Harlem Nocturne)を、ラジオの公開放送の「Jazz At The Torys」の中で、The Big Four(ジョージ川口、上田 剛、中村八大、松本英彦)のスリーピーこと松本英彦がやったのにはホントに驚いた。
高校時代のまだ青い頭の中では、無意識のうちに俗っぽい音楽とジャズは、細いとはいえしっかりと線を引き分けていたのであろう。

後年、クラリネットの花岡詠二が「白い渚のブルース」を好んでやられるのを知って、お色気ナンバーではないが、こんなポピュラーなナンバーもやるんだ、と感心した覚えがあるから、つい最近までそんな考えかが頭の中に蔓延っていたのである。

今はもう、一定のセンスの上で面白ければポップスであろうが、歌謡曲であろうが、民謡であろうが、叙情歌であろうが…ジャズとして聴いてみたいと思う。
(この、一定のセンスの上で、というところが問題なのだが━)

つい最近、シャープス&フラッツやニューハードなどを経て、スタジオ・ミュージシャン、あるいは海外からのアーティストとの共演も多いベテラントランペッターの岸 義和を紹介していただいた。
彼は個人的にはハリー・ジェームスやレイ・アンソニーが大好きで、「岸 義和ビッグバンド」を編成し、定期的にライブ・コンサートを催しているという。

この手に全く目がない私は早速、聴きに行ってきた。(3月2日、赤坂B♭)
確かにハリー・ジェームスである。レイ・アンソニーである。いまどき、この手の曲をここまで聴かせてくれるコンサート(バンド)など、まずないだろう。
「All Of Me」に始まり、「Dancing In The Dark」、ハリー・ジェームスの「Trumpet Blues」、「The High And Mighty(紅の翼)」、「Mr. Anthony’s Boogie」、「As Time Goes By」など、歌うトランペットを堪能した。
その時、なんだか50年程前の福原 彰をふと思ったものだった。

「鈴木正男 & SWING TIMES」のリード・トランペットである彼に4月に会った時━
「岸さんをみていると、50年前の福原 彰さんと重なるものがあって━」と言うと、突然彼は2枚組CDを出して「かつて福原さんが吹き込んだものと、私が吹き込んだものとセットで2月に出したんです!」と見せてきた。
何だかとても妙な心持になったものである。

タイトルは━
King Super Twin Series「哀愁のトランペット ベスト」(KICW 9467~8)
岸 義和が<歌謡曲編>(赤いランプの終列車、星影のワルツ、さよならはダンスの後に、等20曲)、福原 彰が<ポップス編>(真夜中のブルース、皆殺しの歌、星空のブルース、スエーデンの城、等20曲)、まさに哀愁のトランペットである。
岸 義和ビッグバンド・コンサート

この時、8月(27日)に渋谷で「岸 義和ビッグ・バンド」のコンサートをやろう!と決まった。
もちろん彼の大好きな世界、ハリー・ジェームスとレイ・アンソニーのナンバーをたっぷりと楽しんでもらおうというもの。
特に今回は、誰もが良く知るポップス調のナンバーも多く取り入れ、暑い、暑い夏の夜を食事をしながら、グラスを傾けながら、ビッグ・バンドバックの甘いトランペットを、のんびりと存分に楽しんでもらおうという嗜好である。(チラシ参照)

岸 義和率いるこのバンドは、とにかくメンバーが凄い。現役バリバリに活躍している、まさにキラ星のごとくのメンバーが一堂に会したと言っても過言ではない。
彼らの織り成すアンサンブル、あるいはソロを聴くだけでも大いに価値がある。
是非、お友達連れで、あるいはご家族連れで、今年の夏の打ち上げを兼ねてお出かけください。

岸 義和ビッグバンド『ハリー・ジェームス & レイ・アンソニー特集 第5弾
~50年代のSwing Jazzを素敵なお食事とご一緒に~』
期  日:8月27日(月)
チャージ:¥7,500(ライブチャージ+ビュッフェディナー+1ドリンク)
会  場:東京メインダイニング 03-5428-5031
     渋谷区神南1-12-13シダックスビレッジ1F
時  間:開場/18:00 ビュッフェサービス/18:30~ 開演/19:30~
お問合せ・ご予約は━
○岸 義和 080-5037-3461 tp-kazu-11.11@ezweb.ne.jp
○東京メインダイニング 03-5428-5031
○Wonder Jazzland(浦山)090-1508-5465 wonder@jazzland.jp

※文中、敬称を略させていただいてます。

| スイング・ジャズ | 07:01 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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若きグレン・ミラーに会いに行く。

グレン・ミラーのナンバーを聴くと、何だかいたたまれないような切ない気分になる。
ナット・キング・コールの歌(ピアノ演奏ではなく)でも同じような気分になる。
とはいえ決してブルーなのではなくうれしくて、むしろはしゃぎたいくらいだ。

これは「浜辺の歌」や「赤とんぼ」「朧月夜」などの叙情歌を、変わることなく「いいな」と思うのに似ているような気がする。
断っておくが、これは単に懐かしがって言っていることではない。我々が音楽に求める何かに、そう、いわゆる琴線に触れる何かがあるのだと思う。

若きミュージシャンたちがグレン・ミラーに傾倒し、グレン・ミラーのナンバーだけを追求するオーケストラを結成した。
『The Miller Sounds Orchestra』(リーダー、a. sax & cla 宮本剣一)。
すでに「SWING COOL JAZZ BIG BAND」として活動はしていたのだが、本格的にグレン・ミラーサウンドに絞り込んだ姿勢を表明しようと改名をして動き出した。

その『The Miller Sounds Orchestra』としての第1回目のコンサートが、グレン・ミラー生誕地協会日本支部の主催によって、5月18日(金)渋谷で行われる。
≪Glenn Miller 108th Anniversary of Birth Lovely Concert≫(詳細後述)
The Miller Sounds Orchestra

その改名前の、「SWING COOL JAZZ BIG BAND」としての最後の演奏会を横浜みなとみらいホールで聴いてきた。(4月13日)。
正直言って驚いた。サウンドの輝きが、眩しかった。
もともとクラリネットが加わる、いわゆるグレン・ミラーのアンサンブルは、透明感がありキラキラと瞬くような美しさがある。
細かいことだがクラリネットの加わり方と、全体のバランスが今までと違い、サウンドの輝度が増したようで非常に興味深く感じた。
しかもPA(音響設備)をまったく使わない自然なアンサンブルが、ホールの最後列まで心地よく届いていた。
サックス・セクション

この辺がリーダー宮本剣一(a.sax, cla)の音の創り方と、若いメンバーのプレイの感覚なのかもしれない。
我々もいつのまにか、グレン・ミラーはこうだろうな、という既成概念で聴いており、そしてそこから外れない演奏に納得していたような気がする。
この日の彼らのグレン・ミラーを聴いて帰って、改めてグレン・ミラー自身の演奏を聴き直し、彼らのこれからに非常に興味を持った。
彼らのエネルギーを感ずる演奏に、何だかグレン・ミラーの生命力を感じた。
ご存知のように、グレン・ミラーが活躍した時間は短かった。が、しかし彼が手がけたナンバーは、我々がいつも聴いている数の何倍もある。それらを掘り起こして、どんどん聴かせて欲しい。
トロンボーン・セクション

この日のプログラム
1) In The Mood
2) Glen Island Special
3) A String of Pearls
4) Tuxedo Junction
5) Stardust
6) The Song of The Volga Boatmen
7) I Know Why (vo)
8) Stairway to The Stars (vo)
9) American Patrol
10) St. Louis Blues March
11) Pennsylvania 6-5000
12) Serenade in Blue (vo)
13) The Nearness of You
14) Anvil Chorus
15) At Last (vo)
16) Little Brown Jug
※ヴォーカルは野村佳乃子
ヴォーカル 野村佳乃子

この先、彼らのグレン・ミラーサウンドがどう変わっていくか楽しみながら聴いていきたい。

そう言った意味で5月18日(金)に、再び若きグレン・ミラー(たち)に会うのが楽しみだ。

『Glenn Miller 108th Anniversary of Birth Lovely Concert』
チラシ

演奏:The Miller Sounds Orchestra、ヴォーカル:野村佳乃子
主催:グレン・ミラー生誕地協会日本支部
○期日:5月18日(金)
○開場:18:00 ○ビュッフェスタイルの食事開始:18:15
○演奏開始:19:30(1回目演奏開始。全2回入替え無し)
○場所:渋谷シダックスビレッジ1F
  東京メインダイニング(03-5428-5031)
○料金:¥10,000(食事+1ドリンク)全120席自由
○予約・お問合せ:グレン・ミラー生誕地協会日本支部
電話、ファックス、メールでお申し込みの上、下記口座にお振込みくだ
さい。入金確認後、チケットを郵送いたします。tel03-3486-3660 
fax03-3486-3623 メール a-katsuta@cosmospace.co.jp
※土日祭日のお申込みはFAXでお願いいたします。
三井住友銀行青山支店 普通 口座番号6944781
口座名 グレン・ミラー生誕地協会日本支部

| スイング・ジャズ | 17:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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遠くを聴く‥

これもきっと歳のなせる業、とでもいうのだろうか。
大好きな音楽の、ジャズの聴き方というか、接し方が変わってきた。

つい何年か前までは、好きで好きでしょうがない、という聴き方をしていた。
だからライブでもコンサートでも、あの人の演奏を、あのメンバー編成の演奏を聴きに行く、という意識で出かけていたようだ。
ところが最近ふと、何か気分が違うことに気が付いた。あのライブを聴かなくてはとか、聴いておこう、などという前のめりの気分がないのである。
とはいえ今までのようにライブやコンサートにはやはり顔を出すのだが、気分的にはあの演奏の聴けるところへ行こう、なのである。
この微妙な違いがお分かりいただけるかいささか疑問だが…だから歳のなせる業としかいいようがないのだが━

ただいえることは、好きで好きでいた時より、気分は穏やかだが積極的に聴きにいったり、音源を求めたりしていることは確かである。
そして生演奏にしてもCDにしても、楽しむ術をやっと知ったような気がするのである。
遅い。そう相当な晩生なのである。だから改めて聴きなおしたり、味わったり、いろいろと楽しみの挑戦をしてみたいのである。
幸いにして回りに素晴らしいミュージシャンがたくさんいる。
その一人一人を思い浮かべながら、我が楽しみを極めてみたいと思う今日この頃なのである。

3月10日。「花岡詠二プレゼンツ“第12回ジミー時田メモリアル『ヘンリー矢板ディキシーブルースを歌う』”」
花岡詠二プレゼンツ 第12回ジミー時田メモリアル

今年はいつになくこの日が楽しみだった。
というのは、前述のようにこのところジャズへの接し方が変わると同時に、ニューオーリンズ・スタイルに一層魅かれるようになってきたのである。
50年ほど前、水道橋の神田川の辺の今は無き「Swing」へ通い詰め、一人何時間も聴いていたそのわけが、今分かってきたような気がするのである。
(今頃分かってきた、というのはどういうことであるか、自分でも分からない。遅い。やはり遅い。)
が、我が身の晩生への総括はまた別の機会にして、3月10日のカントリー・コンサートがいかに楽しみだったかというと━

私は取り立ててカントリーが好きではなかった。というより関心も無かった。
12年前、ジミー時田が亡くなって(2000年3月10日)、翌年からクラリネットの花岡詠二が前述表題のようなコンサートを始めた。
もともとカントリーに興味は無かったが、花岡詠二がディキシー・グループとカントリー・グループを合わせてのコンサートというのにそそられて出かけた。

これがとてつもなく面白かった。
アメリカの移民の歴史、音楽の歴史、ブルースやジャズとの接点、それにともなう広がる音楽地図…
ニューオーリンズと違う土の匂いを、懐かしさを知った。
自らジミー時田の追っかけといい、親しくお付き合いし心酔している花岡節を12年も聞かされていると、ジミー時田をそれほどは知らなくともカントリーのファンの隅っこにすっかりぶら下がってしまった。
何よりも、ヘンリー矢板の歌に参ってしまった。
ヘンリー矢板

そんなカントリーからの12年間の刺激もあったのだろうか、ここへきて私のジャズへの接し方が変わり、ニューオーリンズ・スタイルに一層魅かれるようになったのは━
こんな言い方は無いだろうが、ニューオールリンズ・ジャズもカントリーも、スローフードならぬアメリカ南部のスローミュージック的魅力なのかもしれない。

そんなこんなで、今年の「花岡詠二プレゼンツ“第12回ジミー時田メモリアル『ヘンリー焼いたディキシーブルースを歌う』”」は、いつになく味わいながら聴いた。
それにしてもいつもながら思うことだが、これだけのメンバーでのコンサートがよくぞできるものだと、感心してしまう。
まずそのメンバーをご紹介すると━
ヴォーカル ヘンリー矢板・ゲスト吉沢 紀子
F.E.ウェスターナーズ
 スチール・ギター 大江 俊幸
 リード・ギター  北農 英則
 フィドル     高野 秀臣
 ベース      小宮山 隆
 ドラム      野呂 尚史
花岡詠二ディキシーランプラーズ
 クラリネット、サックス&ピアノ 花岡 詠二
 トランペット   下間 哲
 トロンボーン   苅込 博之
ギター      佐久間 和
バンジョー    青木 研
ベース      加藤 人
ドラムス     楠堂 浩己

第1部
Your Cheatin’ Heart
Lonsome Whistle
Columbus Stockade Blues
Send Me The Pillow That You Dream On
He’ll Have To Go
Under The Double Eagle
The End Of The World
It’s A Long Way To Tipperary
Seven Lonely Days
Carry Me Back To The Lone Prairie
Vaya Con Dions
Mind You Own Business
第2部
Goody Goody
Where The Boys Are
Laid Back’n Low Key
The Dance
How ‘Bout Them Cowgirls
Dueling Banjos
She’s Gone Gone Gone
Peach Picking Time Down In Georgia
Orange Blossome Special
I’m So Lonsome I Could Cly
Mississippi Delta Blues
That’s A Plenty
Country Roads
終始懐かしさに包まれていた。
それにしてもヘンリー矢板の歌はいい…
Delta 4

ところでニューオーリンズ・スタイルで最近頓に聞き耳を立てているのが「Delta4」(クラリネット後藤雅広、ピアノ後藤千香、バンジョー青木 研、ベース小林真人)。
とはいうものの、彼ら一人一人の、あるいはほかの編成での演奏はよく知っているが、「Delta4」としての生の演奏はお恥ずかしい話だが聴いたことがない。CDだけである。
この2~3日中には聴けるから、楽しみだ。「Delta4」については、また改めてご紹介したいと思う。

どうやら最近、少し引いて聴くことを知ったのかもしれない。そう、遠くを聴くとでもいおうか…楽しみが益々増えそうだ。

※文中、敬称を略させていただいています。
※第12回ジミー時田メモリアルの写真は友人よりの提供によるもの。

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