浦メシ屋奇談

近頃じっくり腰を据えて居続けられるところはないか、と探すようになった。メシ屋だか呑み屋だか、この裏に節操なく何でも出てくる店を見つけた。地に足の付かない、あれこれ。浦メ シ屋~っ!

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I Surrender Dear

3月11日以来、少しでも節電に協力しようと、あちこちのコンセントを抜いてしまった。
そのために、ちょっとグッドマンでも聴こうかなと思っても、狭いところへ手を突っ込んでデッキ類のコンセントを入れるのが面倒で、ついつい音無しの生活がしばらく続いてしまった。

しかしそんなことがそう続くわけもなく、CD棚から手当たり次第何枚か引っ張り出して聴き始めたら止まらなくなった。
しばらく音無しでいたための禁断症状があったというわけではないが、しばらくぶりに聴いてみて初めて飢えていたことを知った。
もう一つ気がついたことがあった。聴き始めて、無性に懐かしかったことである。それはしばらく遠退いていたから懐かしく思ったというのではないらしい。
どうやらあの3月11日からの地震・津波・原発問題が、自分の中の何かを刺激したらしい。

あの日私は新宿で友人と打合せを兼ねて遅い昼飯をとっていた。
そこへあの地震がきて、初めて外出先でテーブルの下に潜り込む体験をした。3度も━その後夕方になって、近くの新宿御苑へ避難を兼ねて行ってみた。
7~8年前まで近くの富久町に住んでいたので毎週末には新宿御苑に来ていたが、一番混み合う花見時でもこんなに人のいる御苑を観たことがなかった。
それから事情があって新宿と池袋の間(4km)を歩いて往復した。距離的にはたいした事はないのだが、寒いのと、舗装されているとはいえ凹凸のある道をゾロゾロと歩くのと、もともと膝と腰の悪いところへラバーソールなら良かったのだが、革靴で歩いたために疲れ果ててしまった。
やっと夜中に地下鉄が途中まで動き、そこからさらに二駅分歩いて、家に着いたのは翌日の3時半だった。さすがに疲れた。この程度でなく、6時間も7時間も歩いて帰った人はさぞかし大変だったことだろう。
いやいや被災地の人たちは命からがらだったのだから‥想像もつかない。

私のこの程度の体験が、自分の中で何かを刺激したというのではない。
この時は、大きな地震とはいえ被災地の被害などはまったく知りえず、(まあ、こんなことか‥)くらいにしか思っていなかった。が日に日にテレビや新聞、あるいはネットで、さらに10日ほどして宮古にいる友人が無事でいることが分かりその友人からの話を聞き、そのうえ地震・津波だけでなく原発の行き着くあての分からない問題の経緯を見聞きしているうちに、いかに太平楽な自分でも(これは今までとは違うな!)と思い始めたのである。

もしかしたら最悪の事態を想定しておかなくてはいけないのではないだろうか‥ところで、最悪の事態って何だろう?と本気で考え込んでしまったりもした。
今までに映画やテレビ、本などでのそういう想定の下でのドラマに出会ったことはある。そういう事態が起こりえる可能性を分かってはいても、しかし本気で考えたことなどもちろんない。
前以ての想定による政治や企業などのプランニングからさまざまへの配慮、さらにそれらではまったく及びもしなかった実際の対応を眼の前に晒されて━えっ、こんなことになってるの!?と仰け反ってしまったのである。
もしかしたら日本はダメかもしれない、我々は死ぬかもしれない、という思いが日々ふとよぎったりする。

そんな逃げようもなく埒も明きそうにない、真綿で首を絞められるような重なる恐怖感に苛まれる心が、ジャズに潜む郷愁に触れてふっと緩んだのだと思う。
いささかオーバーに聞こえるが、最初に手にした「鈴木正男 & SWING TIMES」の『Let’s Dance』のクラリネットのイントロとそれに続く流れるようなアンサンブルを耳にしたとき、ホントにホッとして懐かしさを覚えた。
(そうか、自分にはこんな懐かしさがあったんだ!)と安堵した。こうなったら何枚あるか知らないが、好きで求めたCDなんだから、じっくりと1枚1枚改めて聴きなおそう!と心に決めたものである。

そんな中で(ああ、やっぱりいいなぁ!)と、何だか目頭が熱くなったのが‥もう何回となく書いているからまたか、と思われる向きもいらっしゃるだろうが、鈴木章治のピーナッツ・ハッコーと最初に吹き込んだEP盤「鈴懸の径」(1957年)である。
が、今回は「鈴懸の径」ももちろんだが、その裏面の「I Surrender Dear」にすっかり身も心も委ねて感傷に浸ってしまった。音の一つ一つを確かめながら‥
そこには初めてこの演奏を耳にした中学時代の郷愁と、ジャズそのものに潜む郷愁が共鳴しあっていた。

「I Surrender Dear」の名演・名唱はたくさんある。が、私は鈴木章治とリズムエースの、この時の「I Surrender Dear」が一番だ。(この曲だけピーナッツ・ハッコーは加わらず、リズムエースだけの演奏)
まだこれからも折を見ては、私はこの鈴木章治の「I Surrender Dear」を「鈴懸の径」と共に聴くことだろう。
「I Surrender Dear」。私はこの曲、この演奏にまいっている。
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黒い瞳に想う‥

とにかく寒かった。
もう50余年も前のことだが(確か1956年だったと思う)、ダークダックスの「ともしび」がヒットして、ロシア民謡ブームが起きた。
そのすぐ後「カチューシャ」もヒットし、その年の秋から冬にかけて街中何処へ行っても、
♪夜霧の彼方へ 別れを告げ 雄々しきますらお 出でてゆく‥♪
♪りんごの花ほころび 川面に霞たち 君なき里にも 春はしのびよりぬ‥♪
と聴こえていた。
私の生まれ育った長野県伊那市は、長野県でも南の方だが西駒ケ岳(木曾駒ケ岳)からの風が冷たく寒く、歌のイメージと共にロシア民謡そのものが寒さの象徴として私の脳髄の奥に刻み込まれた。

「トロイカ」、「赤いサラファン」、「カリンカ」、「ステンカ・ラージン」、「ヴォルガの舟歌」、「アムール河の波」、「ポーリュシュカ・ポーレ」etc.
そのロシア民謡の中でも私は、特に「黒い瞳」に惹かれていた。
横殴りの吹雪の中、黒いショールをすっぽりと被り口元まで覆い塊りのようにひっそりと立っている女‥「黒い瞳」を聴くと、当時中学生だったがなぜかそんな光景が眼に浮かんでいた。とてもドラマチックだった。
ロシアの厳寒などまったく知らないが、とにかくあの頃の周りも寒かったが、曲もとても寒いという印象が強かった。

ところが前述の曲目は、歌詞を想い出しながら今でも概ね歌える。不思議なのは「黒い瞳」に日本語の歌詞の憶えがまったくないのである。
ダークダックスをはじめライバルのデューク・エイセス、ボニー・ジャックスも歌ってなかったのだろうか。とすれば当時私は何を聴いていたのだろうか。誰の演奏を聴いて、横殴りの吹雪の中にたたずむ黒いショールの女性を思い浮かべ惹かれていったのだろうか。

それからしばらく経ってから、ルイ・アームストロング&ザ・オールスターズの「オチチョニア」を聴いてから、ある時は「黒い瞳」、またある時は「ダーク・アイズ」、そしてまたある時は「オチチョニア」(ロシア語だと、「オーチ・チョールヌィエ」だそうだ)とハッキリと聴き分けている(?)。
サッチモの「オチチョニア」を聴いた時、へ~ェ!ジャズってこういう曲もやるんだ!とジャズを一層身近に感じたものである。
そういえばドラムスのジーン・クルーパのグループの「黒い瞳」もいい。

私が大好きなせいもあって、ライブやコンサートにはこの「Dark Eyes」をやってもらうことが多い。
鈴木直樹にはクラリネットで、テナーで、さらにカーブド・ソプラノサックスでと、それぞれの楽器の特性を活かしてやってもらう。とくにカーブド・ソプラノがいいなぁ。
1コーラスはソプラノサックスだけでルバート(曲想に合わせてテムポを柔軟に伸縮させて)で演奏し、2コーラス目からミディアム・テムポで全員入ってくる━この小気味の良いメリハリが大好きで、時々「Dark Eyes」を聴きたくなる。
この楽器1本だけの演奏はベースもいい。

もう3年ほど前になるが、ベースのジャンボ小野のHPづくりのお手伝いをして撮影をした時、いつかトップページにベースソロの「Dark Eyes」を入れようと写真スタジオで録音した。
これが実にいい演奏だが、未だに大切に仕舞ったままにしてある。何とか早くに日の目を見せようと思う。ジャンボのHP(Jumbo On Bass)にご注目ください。

永い事「Dark Eyes」をジャズで聴いていると、寒いというイメージはなくなってきた。大体演奏している若いミュージシャンにロシア民謡のイメージなど無いようだ。だからこちらもいつの間にか想い出さなくなっていた。
ところがあの東北関東大震災の報道で、横殴りの雪の中からの映像を見ていて、昔の冷たい寒さをふと想い出し、イメージ的には随分とかけ離れてはいるが、その寒さから「黒い瞳」が蘇ってきた。
言葉で表しようのない感慨と共に、あのロシア民謡の「黒い瞳」が重なり涙がこみ上げて来た。

ピアノのジョー蒲池がシャープス&フラッツに入団した直後(1973年)旧ソ連のハバロフスクで公演した時、今は亡きアルトの名手前川 元のロシア民謡「オチチョニア」の演奏を聴いて、超満員の会場のあちこちから啜り泣きが洩れたという話を想い出した。(ジャズピアニスト蒲池 猛 今昔物語
はかり知れない胸に秘めたさまざまな想いがあるのだろう。

詞の内容からみれば、「黒い瞳」はもしかしたら災いなのかもしれない。しかしあんなにも美しく心にしみいるメロディーが災いのわけがないと思う。
東北関東大震災で被災されさまざまな試練に耐えて頑張っておられる皆さんに、心の中で「黒い瞳」をお贈りします。
頑張ってください。心から応援しています。

※敬称は略させていただいています。

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