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浦メシ屋奇談

音楽のこと(特にSwing Jazz)、ミステリーのこと、映画のこと、艶っぽいこと、落語のこと等々どちらかというと古いことが多く、とりあえずその辺で一杯やりながら底を入れようか(飯を喰う)というように好事家がそれとなく寄合う処。“浦メ シ屋~っ!”

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蕎麦は調子ですから…

毎日続けて食べたことがないから分からないが、多分3食のうち1食は毎日蕎麦でも大丈夫だと思う。

考えれば、ご飯だって毎日食べているけど飽きたと言う人がいないのだから、蕎麦を毎日喰っても飽きないと言う人がいても別段可笑しくはないと思う。
毎日喰っても飽きないと思うくらいだから、もちろん嫌いじゃないことは確かだが、取り立てて好きかと言うとどうやらそれほどでもない。と言うのはそりゃあ旨いに越したことはないが、俗によく言う蕎麦っ喰いと言われる人のように、蕎麦粉がどうの、繋ぎがどうの、蕎麦つゆの出汁が云々‥と小うるさいわけではない。蕎麦つゆも多少甘かろうが辛かろうが、どちらも旨いと思って喰う。強いて言えば辛い方がいいことはいい。

蕎麦を食っていて一番楽しみなのは(実際は喰い終わってだが)、蕎麦湯である。実は蕎麦を喰い終ってからのあの蕎麦湯が飲みたくて、蕎麦を喰うと言うところがある。
歳も歳だから塩分の摂りすぎだ何だと言うこともあるが、蕎麦猪口の底に少し残った蕎麦つゆに、白く濁った熱い蕎麦湯を注いで、口の中の蕎麦の名残りを楽しみながらゆっくり飲む蕎麦湯は例えようもなく旨い。ちょっと大げさかもしれないが、よくぞ日本人に生まれけり、である。

私にとって蕎麦の醍醐味は蕎麦の味やつゆの加減もさることながら、盛られた蕎麦の山に一味唐辛子を振って、やおら箸の先に何本かの蕎麦を引っ掛けて、その端をちょいとつゆに浸してツーッと一気に口の中へ手繰りこむ。それをツーッ、ツーッ、ツーッ!とテンポよく続けて食べていくのが痛快で、心地よくて旨いのである。
盛られた蕎麦で想い出したが、私はモリしか食べない。別段ザルが嫌いな分けではないが、ザルは刻み海苔がかかっていて食べにくい。さっきも言うように、ツーッ、ツーッとテンポよく食べたいのにも関わらず、海苔があると口の中で引っかかってそうはいかない。もそもそ食べるようになってしまう。これでは、私にとっての蕎麦の旨さは半減どころか、皆無になってしまう。
第一、モリとザルの違いは刻み海苔がかかっているかいないかの違いでしかない(最近では)。それで200円位もの差があるのはどうも━本来はつゆからして違うものらしいが━。
蕎麦
私がこんなに蕎麦を喰うのが楽しみになったのは、どうやらあの時からだと思う。
確か40年程前だと思う。渋谷の東横ホールでの東横落語会で十代目金原亭馬生(1982年没)の「そば清」を聴いた。
十代目の馬生と言えばご存知かと思うが、五代目古今亭志ん生の長男、志ん朝(三代目、2001年没)の兄貴である。(ついでにもう一つ言えば、女優池波志乃の親父であり、中尾 彬の義理の父である。)

この金原亭馬生という噺家は地味だが、実に良かった。好きだった。いぶし銀と言うのはこういうのを言うのだろう。
目を細めて額にしわを寄せ、口をパクッと開け、籠ったようなちょっと特徴ある語調で話す。それにさりげなく使う右手の動きが目に浮かぶ。
余談だがその馬生が亡くなったのが54歳。さっきも言うように地味だが、新宿の末広通りや浅草の裏路地を寒い日にとんび(和装コート)を羽織って、下駄の音をコツコツいわせて歩いていそうな、いかにも噺家らしい噺家だと思う。「笠碁」だの「二番煎じ」だのを想い出す。
弟の志ん朝も63歳で亡くなり、この兄弟共にこれからという時に亡くなっている。そう、二人ともすでにいない。
親父の志ん生は83歳まで‥もっとも晩年の5年程は高座には上がっていないが、志ん生くらいになると生きていると言うだけでよかった。(亡くなったと聞いたときには、何とも言えない想いがあった。ベニー・グッドマンの時もそうだった。)
いずれにしても馬生と志ん朝兄弟は、逝くのが早かった。我々にしても、大きな楽しみを二つも奪われた。

話を元に戻すが、その東横落語会で馬生が演った「そば清」(上方の「蛇含草」という同じような噺があるが、この「蛇含草」が元でできた噺らしい)というのは━蕎麦好きの清兵衛という男が、蕎麦を何枚喰えるかという賭けをする噺。
ある時、清兵衛は山道で大蛇が人を飲み込むのを見た。その時、人を飲み込み大きな腹をして苦しそうにしていた大蛇が、近くにあった草をペロペロと舐めるとたちまち腹が小さくなってしまった。
それを見た清兵衛は、この草があれば何枚でも蕎麦が喰える、と考えその草を摘んで帰り、蕎麦の大食いの賭けをする。
そしてその賭けの最中、腹いっぱいになった清兵衛は、例の草を舐めるために席を外すのである。
席を外したきりなかなか戻ってこないので、皆で清兵衛が外した先へ行ってみると、「蕎麦が羽織を着ていた。」と言うサゲ(オチ)で終わる。なかなかよくできた噺で、私の好きな話の一つでもある。
高座
噺の内容はともかくこの噺、蕎麦を喰う場面がこれでもか、と言うくらい出てくる。
「えゝ、えゝ、蕎麦は調子ですから‥」と言いながら調子よく、蕎麦猪口を持って箸で蕎麦を摘みあげ、つゆにちょっと浸してツーッと喰う。いろいろと能書きを並べながら、馬生が演じる清兵衛が次から次へと蕎麦を平らげていく━
馬生のこの場面を見聞きして、「あゝ、蕎麦を喰いたい!喰うなら、あゝ喰いたい!」と思い、落語会がハネてから、即蕎麦屋の暖簾をくぐったのを憶えている。
まさに広告業界で言う「シズル感(臨場感)たっぷり」の演技と言うことである。以来、蕎麦は小気味よくあヽ喰いたいと心がけ、味わいも増したし蕎麦を喰う楽しみも大きくなった。

そう言えば先代の柳家小さん(五代目、2002年没)の蕎麦の喰い方も良かったが、「うどん屋」でのうどんを喰っている様子の描写の巧さというか面白さは、もうどうしようもないと言うくらい凄かった。
丼を左手で持ち、中の具やうどんを箸でちょいちょいと触るでもなく突くでもなくしながら、ふーふー吹いて冷まそうとする。
そのうちにうどんを箸で摘み、やはり吹きながらズズズーッと手繰りこむ。もぐもぐやりながら時々具を摘みあげ口に入れ、またうどんを手繰る。ふと視線を感じて、目線だけを上げるとうどん屋の親父と視線が合う(と言う演技)。ちょっとした間があってニッと愛想笑いをし頷いて、再び目線を丼に戻し、無表情に喰い続ける‥
これは可笑しかった。うどんを喰っているところをリアルに真似してみろ、と言うのなら私にもできる。(そういうことが好きだから)じゃあ、何が違うのかと言われたら、やはり芸になっているかどうかと言うことで、単に物まねが巧いというのとは雲泥の差だろう。
蕎麦やうどんではないが、小さんの「試し酒」の中での、久蔵が五升の酒を一升入るという大杯で5杯呑みながら、徐々に酔っていく様も面白い。口調、身体の動き、目の動き、顔の色まで変わってくる。桂 文楽(八代目、1971年没)の甘納豆や大福も同じことである。

まったく話は違うが、映画「グレン・ミラー物語」のジェームス・スチュアートも、「ベニー・グッドマン物語」のスティーヴ・アレンも、楽器の持ち方、吹く直前のちょっとした仕種、吹き方など、実際にプレイできるのかと思ったほどだった。専門の振付師がいるからとはいえ、単なる真似上手ではあヽはいかないだろう。やはり役者としての芸にしているのだろうと思う。

何だか無性に蕎麦が喰いたくなってきた。
別に芸人や役者じゃないから上手に喰う必要はないが、たかが蕎麦とはいえ存分に楽しんで味合おうと思っているから、旨そうに食べますね、って言われるのは悪くない。
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香香党の本来は━

もう、5~6年になるだろうか。脳・心・体の活性化を期して、自ら志願してメシの仕度をしている。
とはいえ今流行りの男の料理というほどのものでもない。魚を焼いたり、炒め物をしたり、時には煮物をしたり、鍋にしてみたり‥毎日のことであるから、まさにメシの仕度程度である。しかし好きとはいえ毎日となると、結構大変である。2~3日先を見通しながら大体の献立を考え、買い物をしておき台所に立つ。
仕事柄家にいる時間が多いが、それ買い物だ、夕飯の仕度だとやっていると結構時間をとられる。何がイヤかといって、家事の時間が来たからとそれまでやっていた仕事を中断しなければならないことほどイヤなことはない。だから朝、時間割をキチンと立て、その通りに動きその時々のことに専念することで余計な思考の余韻や広がりを断ち、例え短くとも充実させることがコツのようだ。
いや、主婦はつくづく大変だと思う。ほかに掃除や洗濯、家族・家庭の諸々をやらなければならない。主婦(専業)はそれが仕事だ、と言うのは簡単だが、家事は雑用の集まりだから、外へ出てやるような仕事の域まで意識を変えてやるのはやはり大変だろう。

メシの仕度をするようになって一番の収穫は、例えば洗物などの面倒なことをイヤだとも何とも思わずにできるようになれたらシメタもの、と考えていたことがそうなれたことである。
大体作るところまではするが、後片付けはおよそ面白くもないからやりたがらない。が、どうせやるならそこまでやらないと意味がないから、イヤイヤながらもそう念じつつやっているうちに、いつの間にかまったくそう思わなくなり、メシの仕度の一連の作業の締めくくりとして今では何の苦もなくやってしまう。
面倒がらない!何でも楽しくやりたい!即身体を動かす!脳・心・体の活性化のためというのは、そういう意味なのである。

ところでそんな話をしたくて書いているのではない。毎日メシの仕度をしていて心残りに思うことが一つある。それは香香(こうこ)に、いわゆる漬物、お新香にこれはと思う旨いのがなかなかないことである。旨い香香があると、食卓はグンと違ったものになる。
おかずは毎日変わる。にも関わらず食卓に絶対に欠かせないのが味噌汁と香香である。味噌汁は自分で作るからまだ工夫が利くが、香香はメシの仕度とは違ったところで手数がかかるから買ってしまう。
スーパーなどにはいろいろとあるが、どうもこれといった旨いものに巡り合ったことが殆どない。やはり自分で漬けるより仕方がないのだろうか。
ああ、お袋に教わっときゃ良かった。幼い日に嗅いだ、お袋の手の糠味噌の匂いが懐かしい。
“香香を漬けたいときには、親はなし”だから旨い香香が喰いたかったら、親が生きているうちにちゃんと教わっておけ、という昨今ではまるで生きようがない親香香(?)に対する教訓である。
小さな水滴を留める濃い紫と薄っすらと緑を刷いたような白いヘタの茄子。あるいは水分を少し取られてやや萎びながらも濃い緑に程よく漬かっている胡瓜。大根、茗荷‥
特に香香というと「いの一番」に頭に浮かぶのが「覚弥の香香」(かくやのこうこ。「隔夜の香香」とも書く)、いわゆる古漬けである。(何故、覚弥の、あるいは隔夜の香香というかの解説は長くなるので本稿では省く。ここを訪れていただいている方々は、脇のサイトでいくらでもお知りになる手がおありだろうから、今回はそちらでお願いしたい。)
「覚弥の香香」といえばまだまだ遠いがやはり季節は夏で、なおかつ一番に思いつくのはやはり落語の「酢豆腐」だろう。
「酢豆腐」といえば黒門町(八代目桂 文楽)も然りだが、ここでは古今亭志ん朝(平成13年没)をあげたい。
高座
「台所の板を上げてみろ。ヌカミソ桶がある━
中へグーッと深く手ぇ突っ込んでみろ。必ず忘れちまったような古漬けってぇのが2つや3つは出てくる。ネッ!こいつをよ~く洗ってトントントントーンと細かく刻んでだ、ナッ!うん、そのまんまだってぇと臭くっていけねぇから、一旦水に泳がせて、しばらく置いといて、こんどは布巾にあけてよ、ネッ!そこへ生姜を下ろしてもいいよ!細かに刻んでも構わねぇ、一緒に混ぜてキュッと絞って、ネェ~ッ!えゝちょいと上にカツ節やなんかパラパラッて振りかけて、下地(醤油)でもちょういと垂らしてやってみな!そりゃ乙な酒の肴になるよ!エーッ!覚夜の香香ってなぁどうだい!」
真夏の昼下がり、町内の若い衆が集って暑気払いをしようとして、酒は何とか用意できたが肴が無い。金がかからなくて、酒の肴になっておマンマのおかずにもなって、なおかつみんなの口に入るような何かいいモンはねぇか!という呼びかけに男が啖呵のように一気にまくし立てるくだりである。
志ん朝は勢いと言うか調子というか、妙にシナのある口調でトントンと小気味良くくるから堪らない。
(その調子よさ、小気味よさが、歳を経ることによってどう変わってくるだろうかと、密かに楽しみにしていたのだが、あっさりと逝ってしまった。せっかくの大いなる楽しみが奪われてしまい、残念至極である。)
小鉢にギュッと絞ったままの刻まれた色濃いナスの塊りに、微塵に刻んだ生姜と鰹節がパラパラッとかかって、そこへ醤油が‥眼に浮かぶようで、思わず生唾を飲み込んで白いご飯が欲しくなる。

志ん朝はともかく、覚弥の香香、古漬けはいい。とはいえ、端から古漬けを作るつもりで漬けるのではもう一つ合点がいかない。やはり樽の底に忘れられていたナスでなくては━そう、だから沢山はいけない。もう少し欲しいなあ、というくらいのところがちょうどいい。そういえば三代目三遊亭金馬の得意ネタに「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は━」と唱える「孝行糖」というのがあるが‥こちとらぁ「香香党」よぉ!してその本来はと来りゃあ「惜しみつつチビチビ味わう覚弥の香香」、である。
やはり「酢豆腐」の中に、糠味噌の中から古漬けを出せ、と言われて━
「(手が)いつまでも臭くってネチネチして!いい若ぇモンのするこっちゃねぇや!」とやはり啖呵を切るくだりがあるが、こっちはもういい若ぇモンというにはいささかとうが立ち過ぎているから、気にすることもあるまい。一つ糠味噌でもやってみるか、と「でも糠」の心境にもなっている。
どなたか市販の漬物で美味しいのがあったら、是非教えて欲しい。

| 旨いもの | 09:20 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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