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浦メシ屋奇談

音楽のこと(特にSwing Jazz)、ミステリーのこと、映画のこと、艶っぽいこと、落語のこと等々どちらかというと古いことが多く、とりあえずその辺で一杯やりながら底を入れようか(飯を喰う)というように好事家がそれとなく寄合う処。“浦メ シ屋~っ!”

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味わい深く、芸は甦る━

カーッと暑い日というのは、頭の中がボンヤリと白日夢化して想いが遠くへいきやすい。
8月は終戦記念日をはじめ戦争に関わる日も多く、またお盆もあり、単に暑いだけでなく特にそんな感覚になりやすいのだが‥この夏はそれに輪をかけて、すでに亡くなられた方々への新たな想いを巡らせることが多かった。

先日、友人が音楽プロデューサーとして関わっていたこともあり、「日本のいちばん長い夏」(監督・脚本 倉内 均)を観た。
これは太平洋戦争が終わって18年後の昭和38年(1963年)に、軍人、政治家、官僚、文化人、新聞記者、俳優、従軍看護婦など、それぞれの立場で過酷な戦争を体験してきた28人が集められ、それぞれの立場・状態での体験とその時の心理状態などを語り合った実際の大座談会を再現したもので、見応えはあった。
またこの映画の見所は、その座談会に集められた28人を、現在活躍中のジャーナリストや脚本家、小説家、漫画家、アニメ映画の監督、大学教授などの文化人がいわゆる文士劇として演じ、さらに彼ら自身の祖父や両親などから見聞きした戦争の話を、本題の座談会の合間に織り込み、内容も見え方も立体構造にしたところにある。
(演技としては座談会の発言シーンでしかないのだが、局面に対しての緊迫感や苦悩、あるいは逆に振り返り語るという自然さなどが足りないために、映画本来の趣旨がもう一つ伝わってこないのは仕方がないことだろうか。)

そういう内容もさることながら、私は昭和38年のその座談会に出ていた何人かの顔ぶれを単に懐かしいと思った。
昭和38年といえば私が高校を卒業した年。当時眼にし耳にした著名人の名前と話を聞いていて、なんだか無性に懐かしいと思ったのだ。そう、ただ懐かしいと思っただけだが、妙に感慨深かった。何だろう、これは━。

大岡昇平、徳川夢声、有馬頼義、岡部冬彦、池部 良‥当時私は小説を、漫画を読み、あるいはラジオからの朗読や話を耳にし、スクリーンでよく観ていた人たちである。
ところが映画の終わりに、私の知るこの5人の方々の内、俳優の池部 良を除いてすでに皆亡くなっている旨を知り、なんともいえない想いがした。
あれから50年近くも経っているのだから、亡くなっていてもおかしくは無い。が、もう亡くなられたと知った瞬間に、当時眼にし耳にした時の感慨をふと想い出したのと同時に、今まで歩んできた路傍の道しるべを見返しているような想いに駆られ、また自分自身そういう想いに浸る歳になったのかと改めて思ったのである。

改めてというのは、さっきもいうようにこのバカ暑い夏(8月)には、何回か同じような想いをしているからだ。
前回「夏の日の、想いも熱きジャズ」で触れた、ギターの蓮見さんを通しての平岡精二(1990年没)もそう。(この前回の平岡精二のStardustのテープについては、メンバーと経緯が大体分かったので、近く紹介させていただく。)
さらにやはり前回にも書いたが、「鈴木正男 & SWING TIMES」の10周年記念コンサートでの松本英彦(2000年没)のテープを聴いていて、しみじみあれこれと想いを巡らせられた。

その後もう一つ、いや二つ。探し物をしていて古い資料の中から興味深いオーディオ・テープを見つけた。
落語と漫才の古いテープ…一つ(6本ひとまとめだが)はやはり34年ほど前(メモには昭和52年とある)にNHK-TVなどで放送した、三代目古今亭志ん朝(2001年没)を中心に、この6月より落語協会の会長になった10代目柳家小三治、六代目三遊亭円生(1979年没)などの高座を記録したものである。
ちなみに志ん朝の「大山詣り」「鰻の幇間」「黄金餅」「たいこ腹」「夢金」「井戸の茶碗」「お化け長屋」、円生の「唐茄子屋政談」「雁風呂」、小三治の「野ざらし」など、いずれも昭和52年の志ん朝独演会、円生独演会、さらに精鋭落語会、落語特選会でのものである。

ところが、これが前回の平岡精二のカセットテープ同様聴かれないのである。今度はマイクロカセットテープで前回よりさらに始末が悪い。
ちなみに平岡精二のテープは、早速カセット・テープレコーダーを購入してきて聴いたのだが、こんどはマイクロ・カセットレコーダーなどいまだに売っているのだろうか。
でも聴きたいから、何とかしてこよう。特に小三治のこの時の「野ざらし」はよく憶えていて、私にとって興味深い高座である。

そのころ私は小三治を理屈っぽくて陰気で、理が見えるようで小うるさい噺家だと思っていた。ところがこの「野ざらし」を聴いて、そんな印象を吹っ飛ばしてしまったことを憶えている。
もちろん三代目春風亭柳好の「野ざらし」とは違って、小三治独特の粘ったしつこさはあったが面白かった。あれ以来、私の中での柳家小三治の印象はまったく変わった。
その時の「野ざらし」だからどうしても聴きたいのだ。聴いたら、またここでご紹介しよう。

もう一つは…これは落語・漫才・浪曲・映画など芸能好きな大先輩に、ずい分前にいだいて、もちろん聴いてはいるがその後仕舞い込んで忘れていたテープである。
これも前々回(「笑わせろ!」)でたまたま書いた都上英二・東喜美江、リーガル千太・万吉、さらに横山エンタツ・花菱アチャコの漫才に、声帯模写の元祖古川ロッパの舞台を録ったもの。
(そういえばエンタツ・アチャコのあの伝説的な「早慶戦」がどこかにあったはずだが‥どうも整理が悪くていけない。今度探してみよう。)

昔聴いた時よりも、今の方が親しみも増して、さらに一言一句の受け答えの面白さが楽しめるのは何故だろう。
それにしても上手い。やり取りのテムポと言葉の選び方が絶妙。都上英二・東喜美江も、エンタツ・アチャコも、千太・万吉もそれぞれのコンビ共に、個性の割り振りがしっかりしていて、その上に台本がいいから真底可笑しい。最近の漫才(のようなもの)のようにふざけているのではなく芸なのである。
古川ロッパの声帯模写(この口演でも言っているが、物まね芸を声帯模写と最初に言ったのはロッパだと言う)にしても、話が面白い。
これが芸なのだろう。その芸の味わいが分かるようになったということなのだろう、と思う。

我々が毎日のように聴いている音楽は、作詞・作曲者も演奏者も殆どが亡くなられている。
だからそんなことは意識をしたこともないのだが、何かの拍子にその死を意識することができた瞬間にその曲が、演奏が違ってくる。
ただ単に曲の良さ、演奏の良さを楽しみ味わっていただけのものから、その人の何かしらの人生に触れながらの鑑賞とでも言おうか、味わいが変わってくる。
お笑いなどは特に、その裏の人生を勝手に拡大して想い味わっているところがある。それが余りにも勝ってくると笑えなくなる。そうさせずに思わず笑わせるのは、やはり卓越した芸なんだろう。
亡くなったことを意識することで、私の中で芸は味わい深く甦る、のである。

こういう想いに浸りながらの物事の鑑賞というのも一興だろう。
夏が来るたびにそんな感覚に陥り、ある意味楽しんでいる。今年のように暑いといつも以上にボンヤリとして、余計にそんな気がしている。
その夏も、あっという間に行ってしまう。
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笑わせろ!

歳のせいなんだろうか‥やっぱりそうなんだろうな‥
最近の漫才というか、コントを観て聞いていて少しも面白いとは思わないし、笑えない。
笑いは時代を映す、という側面があると言うから、最近の笑いが面白いと思えないのは、やはり歳のせいに違いない。ついでに年寄りの僻みとして言わせてもらえば、あの程度の笑いなど分からなくて結構、と開き直らせてもらっている。

どうもこの「浦メシ屋奇談」は昔は良かった的な話が多くて、愚痴っぽくて小言っぽくていけない。とは言いつつも、漫才にしても、漫談などのピン(1人)芸にしても、お笑いグループにしても、コメディや軽演劇にしても‥やっぱり昔の方が面白かった。
ただ軽演劇などは今や東京ではほとんど観られず、NHKの「コメディ お江戸でござる(コメディ 道中でござる)」(1995年~2004年)以来TVではお目にかかっていない。
大阪には「吉本新喜劇」があり、「松竹新喜劇」を軽演劇と言えるのかどうか分からないが、大阪には伝統的な喜劇があってうらやましい。

同じようなお笑いで昔も今もあるものと言えば、漫才である。ただ、最近二人でやっているのを単純に漫才と言っていいのかどうか分からない。むしろコントの方が多い。
コントと漫才の厳密な違いなど知らないが、コントを素材に漫才をしている、とでも言おうか、しゃべり芸の面白さとして楽しめるものが少ない。
笑いにつながるきっかけと言うかアイディアを、そのまま披露しているに過ぎないような気がする。つまりふざけているだけで、芸になっていないお笑いが横行しているように思う。

芸になっていないから、一つ笑ってもらえると、同じようなものをパターン化してぶつけてくる。やってる方はともかく、見聞きしている我々は笑いながらいつの間にか素になってくる。やがて鼻について笑えなくなるのである。
芸というのはその人そのものをどう出すかだと思う。面白いことを言うから、あるいは可笑しい仕草をするから可笑しいのではなく、その人が面白いからその言うことや仕草がそこはかとなく笑える。それが芸である。

そんな小うるさいことはどうでもいいことだが、要は笑いたいのだ。芸に会いたいのだ。漫才にしても昔のラジオで聴いていた頃は面白かった。
ミヤコ蝶々・南都雄二。蝶々の独特の理屈っぽい大阪弁のゆったりとしたおばさん口調のテンポと間。それとまごまごしたおっさん南都雄二の受答えが可笑しかった。
秋田Aスケ・Bスケ。やはり大阪の漫才。私が知っているのは二代目のBスケらしいが、猿の物真似が上手いらしく盛んにやっていたらしい。ラジオだからまったく見えないのだが、聴いてるだけでも何故か可笑しかった。
都上英二・東喜美江。東京の音曲漫才。
♪キミと一緒に歌の旅~、歌えばた~のしユートピア、昨日も今日も朗らかに~、陽気な歌の二人旅~、ギター弾こうよ三味弾こよ~、弾~けば一人で歌がで~るぅ~♪
このオープニング・テーマで小学生の私は「ユートピア」という英語を覚えた。
もう一組音曲漫才で忘れられないのが、宮田洋容・布地由起江のコンビ。「洋容さん、ようようさん!」と甲高い声で呼んでいる、布地由起江の声をいまだに想い出す。

昭和の時代までは他にも面白い漫才はたくさんいた。
中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、ミスワカサ・島ひろし、海原お浜・小浜、西川やすし・きよし、東京ではリーガル千太・万吉、内海桂子・好江、獅子てんや・瀬戸わんや、春日三球・照代、晴乃ピーチク・パーチク等々、しゃべくりの面白さのコンビをあげたらきりが無い。みんな独特の面白さを持っていた。
そして何年にもわたって彼らの漫才を聴いていると、同じネタに何回も出会う。しかしこれが何回聴いても面白い。

漫才ではないが蛇使いのコントで売った東京コミックショーは、他にもネタはあったにも関わらずテレビではほとんどあの「レッドスネーク、カモン!」をやっていた。
それがまた何回観ても面白い。こうなると古典落語と同じで、観客も言うことやることすべて分かっていてやらせる。と言うより、やらないと客が許さない。何十年やっていただろうか、鼻につくなどということは毛頭無かった。これが芸である。
(東京コミックショー、ショパン猪狩、懐かしい限り。2005年没)

そういえばあの頃、音楽家としても一流のコミックバンドがずい分あった。
ハナ肇とクレイジー・キャッツ、小野やすしとドンキー・カルテット、♪地球の上に朝が来りゃあ、その裏側は夜だ~ろう‥♪の川田晴久のあきれたぼういずの流れを汲むボーイズものの小島宏之とダイナ・ブラザーズ、灘康次とモダンカンカン、さらに♪金もいらなきゃ女もいらぬ、私ゃも少し背が欲しい♪と来る三味線、ギターの歌謡浪曲グループ玉川カルテット‥皆まさに芸人ぞろい。いや~、面白かった。
特にクレイジー・キャッツの植木等(ギター)や谷啓(トロンボーン)、桜井センリ(ピアノ)はフランキー堺率いる冗談音楽のザ・シティ・スリッカーズ(1954~1957年)で活躍し、解散後クレイジー・キャッツに移り、他のメンバーと一緒に芸に音楽にとさらに磨きをかけるのである。
クレイジー・キャッツのメンバーは、その後も「スイング・ジャーナル」誌の各楽器部門での人気投票のベスト10に常に名を連ねていた。(そう言えば、「スイングジャーナル」も無くなってしまった。これも時代である‥)
フランキー堺とシティ・スリッカーズ
前述のように最近ではあまり観られないが、私の大好きなお笑いと言うと軽演劇である。
あまり懐古的に並べあげても仕方がないので、ここでは1960年頃やっていた以前にもちょっと書いたが「雲の上団子郎一座」を紹介してみようと思う。
エノケンの雲の上団子郎一座の巡業先での様々な出来事と、その一座が演じる出し物が絡み合うという芝居で、これは可笑しかった。こんな面白いものは後にも先にも観たことも聞いたこともない。
第一役者が凄い。エノケン、由利徹、八波むと志、三木のり平、森川信、そうだフランキー堺もいた。(映画もあったから、映画とごっちゃになっているかもしれない)

中でも秀逸に可笑しかったのは、劇中劇の「源氏店」(げんやだな)。歌舞伎の「予話情浮名横櫛」(よはなさけうきなのよこぐし)。「切られ与三」、あるいは「お富与三郎」のあれである。
今の若い連中にこういう話をしても皆目分からないからつまらない。我々の世代だと例え歌舞伎の「源氏店」は詳しく知らなくても、春日八郎の「お富さん」の歌で知ってる。
♪粋な黒塀 見越しの松に仇な姿の洗い髪 死んだはずだよお富さん…♪
何でもいい。この歌を知っているだけでも、この芝居が分かるから、あの時代はまさに面白い。いやいや、歌舞伎の「源氏店」は知らなくとも、またこの「お富さん」の歌を知らなくとも、役者の凄さ、芝居の完成度の高さですっかり笑わされてしまう。

蝙蝠安(こうもりやす)というチンピラに連れられて、“切られ与三郎”と異名をとる与三郎が強請りに入ったその妾宅にいたのが、かつて自分の女だった「お富」。
この「雲の上団五郎一座」では、そのお富に昔のことをちらつかせて掛け合おうと、八波むと志の蝙蝠安が三木のり平の与三郎に、お馴染みの台詞を言いながらお富の家に上がるところからを教え込もうとするのだが、これがもう抱腹絶倒。
一見強面で無骨な八波むと志と、猫背で及び腰の情けなさそうな三木のり平のやり取りがどうしようもなく可笑しい。

左右の手を交互に出しながら、その手と互い違いに左右の足を出し一歩一歩前に進みながら、「ご新造さんえ~、おかみさんえ~、お富さんえ~、イヤサお富、久しぶりだな~あ!」と胡坐をかいて凄むところを稽古をするのだが、これが上手くいかない。
手と足の同じ方が同時に出てしまい、まるで間抜けになってしまう。ニコリともしない三木のり平の間延びのした真面目顔は、今想い出すだけでも可笑しい。
そしてお富の家に行ってこれを実際にやるのだが、今度はそこへ由利徹のお富がからんでくるから、もうどうにもならない。まさに腹を抱えて、頬の筋肉が痛くて助けを請いながら笑ったのを憶えている。
今こうして思い起こしながらあの舞台の様子を書いているだけでも、笑い出してしまう。ただこれは単にフザケて可笑しいのとは全く違う。彼らそのものが、彼らの存在そのものが可笑しく感じられるのである。まさしく芸である。

この雲の上団子郎一座の座長であるエノケンについてだが‥私がエノケンを意識するようになるのは晩年に近く、また脱疽で脚を切り落とす辺りからと言うことがあるかも知れないが、私はエノケンをあまり笑えなかった。実はチャップリンも同じである。何だか余り笑えなかった。
ただエノケンの外国の曲を取り入れるセンスと、あの歌は凄いと思った。「月光値千金」、「ダイナ」などはもともとああいう歌かと思った。
♪「ダンナー のませてちょうダイナー おごってちょうダイナー~♪
上手いもんだと思ったら、サトウハチローの作詞だそうだ。やっぱりあの時代は凄かった。

三木のり平で想い出すことがもう一つある。
マルセル・マルソー(1923年~2007年)と言えばパントマイム・アーティストとしては第一人者であるが、三木のり平がマネスル・ノリソーの名でパントマイムをやっていた。
有島一郎とコンビでやっていたのをテレビで観たことがある。ニコリとも笑わないとぼけ顔の二人が、重なるようにして全く同じ動きを舞台狭しとやっていた。これも可笑しかった。凄かった。
あの頃の映像はどこかで観られないものだろうか。是非観てみたい。東宝の「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」なら観ることができるだろうから、その片鱗を窺うことができるだろう。

森繁久弥の「社長シリーズ」(1956~1970年、監督松林宗恵 東宝)も欠かさず観ていた。
森繁久弥をはじめ、加東大介、小林桂樹、フランキー堺、山茶花究、三木のり平、有島一郎、東野英治郎等々。そして女優陣は淡路恵子、久慈あさみ、草笛光子、団令子等々‥こんな芸達者がゾロッと出ていたんだから、面白くないわけが無い(何を隠そう、私の従姉も出ていた)。
「駅前シリーズ」(1958~1969年、監督豊田四郎、久松静児、佐伯幸三他 東宝)もほぼ同じで、伴淳(伴淳三郎)もレギュラーだった。こんな役者を平行して使って2シリーズ作っていたんだから、あの頃は凄かった。そして面白かった。

とにかく笑いたい!それも脇の下を擽られるような笑いでなく、思考能力を刺激するような、思わず笑い出しそして止まらなくなるような笑いが私は好きだ。
そこには緻密な計算と細心の演技が織り成す芸があり、その芸人の一世一代の芸にもう一度私は乗ってみたい。
※芸人や役者の羅列は、私の思いつくままに並べたもので順不同です。

| 面白いこと | 21:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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昼下がりの情事…してみたい。

ヴァイオリン、シロホン、アコーディオン‥ゆるやかに、流れるような「魅惑のワルツ」。そのたなびく音の中でゆっくりとステップを踏む二人のシルエット‥
鏡のような水面を滑るボートの中で楽しげに話すゲイリー・クーパーとオードリー・ヘップバーン。その後ろのボートにやはりジプシーのカルテットが‥
この「昼下がりの情事」を観て、17歳の私は「これをしたい!」と思った。もちろん、こんなロマンチックな逢瀬にも憧れるが、それよりもいつでもバンドを連れてあるいて、好きな時に好きな音楽を奏でさせ楽しむ!これこそ世の中で一番の贅沢であり、その飛び切りの贅沢を是非ともしてみたい、とその時思ったものだ。
この時そう思ったのは、大富豪で熟年のプレイボーイのゲイリー・クーパーが、専属のバンドを連れ歩くというそのことだけに憧れたわけではない、ということが後々何となく分かった。あの「昼下がりの情事」という映画の憎らしいほどのシャレっぽさ、可笑しさなどその粋さに惹かれたのだと思う。
昼下がりの情事
「昼下がりの情事」(原題:Love In The Afternoon、製作:監督:脚本:ビリー・ワイルダー、’57年アメリカ)は当時56歳のクーパー(フラナガン)と28歳のヘップバーン(アリアーヌ)が実年齢のまま出ているような物語(ヘップバーンは音楽学校の生徒だから、もうちょっと若い設定だが━)。そこへヘップバーンの父親役の名優モーリス・シュバリエが浮気調査の探偵役で絡む。
金持ちで熟年の百戦錬磨のプレイボーイと、まったく汚れていない小娘が何人もの男を手玉に取る海千山千の悪女を演じつつ偽装の浮気ごっこをすすめるという話。ところがプレイボーイのフラナガンはアリアーヌを浮気女どころか、まったく男を知らない普通の娘であることを知り彼女への興味を失うが、いつまでも恋多き女を演じる彼女をいじらしく思い惹かれていく。そしてラストのほんの数分で急転直下大団円、ハッピーエンドで終わる。
この映画全篇、シャレっぽさ、可笑しさ、粋さの演出が何とも言えずいい。例えば音楽学校でチェロを学ぶアリアーヌがチェロケースに豪華な毛皮を入れて持ち運んだり、チェロケースにぶら下がっているチェーンをアンクレットにしたり、サウナの中までフラナガンに付いていって演奏する楽団のヴァイオリンの中に水蒸気を溜まらせてザーッとあけてみたり、アリアーヌの正体が分からずいらいらしながら酒を呑み、一緒に楽団のメンバーにも呑ませ酔っ払っていく過程に合わせて演奏させたり、フラナガンの胸にはいつもカーネーションの花が付いていたり‥
この「昼下がりの情事」の、ビリー・ワイルダーの面白さは歳を経るごとに、さらにさらにじんわりと分かるような気がしてうれしくなる。
そう、そしてこの全篇に流れているのが「魅惑のワルツ」(Fascination)である。私はこの「昼下がりの情事」を観た高校生の時、この「魅惑のワルツ」をすっかり好きになってしまった。

後年になって、私がジャズのコンサートやイベントなどをいろいろと手がけるようになった時、ライブでクラリネットの鈴木直樹に「Fascination」をやろうというと、彼がいうに「ワルツはバンド・チェンジを想い出してイヤだな。特にこの曲はしょっちゅうやっていたから━」と、こちらの想いなど意に介さず一掃されてしまった。
確かに、昔ダンスホールなどでのバンドの交代はワルツで、「Fascination」は良く使われていた。こっちはそれがまた良かったのだが━

今、後年になってジャズのコンサートやイベントなどを手がけるようになったと書いたが…もともと私は広告屋でジャズは趣味。ところがある頃から、ジャズを好きなだけで終わらせたくないという思いとともにもう一つ、実は今までお話していた高校時代に観たあの「昼下がりの情事」を想い出したのである。つまりあの大富豪のプレイボーイ フラナガンのように自分のバンドを抱え、好きな時に好きな曲を楽しみたい!という遠い昔の夢を少しでもいいから実現してみたいと思ったのである。
とはいえ、もちろんバンドを抱えるほどの金があるわけじゃなし。ましてやジャズ界にあヽせえこうせえと顔が利くわけでもなし。ちょうどそんな時、たまたまリハーサルバンド(ビッグ・バンド)と知り合いになり、そのバンドのマネージャーとプロデューサーを兼ねてお手伝いを始めたのである。
そこで沢山のミュージシャンを知り、ジャズ界の事情を知り情報を得て、修業というほどでもないが動きやすくしていったということである。その後は時々とはいえ自分でやりたいと思うコンサートなどの企画を立て、好きなミュージシャンを揃え聴きたい曲を構成し、賛同されたお客さんにお金を出していただいて、自分も大いに楽しもうというのである。いわば他人の褌で相撲を取ろうというのである。
今も幾つかの面白い企画をプラン中であるから、ここを通じてもお知らせすることになると思う。その時は、プランにご賛同いただければ、是非一緒に楽しもうではありませんか。特に来年はベニー・グッドマンの没後25周年にあたり、ビッグ・バンドをベースに大いにSwingを楽しむ企画を催したいと思う。
屋形船で落語を聴く会
以上のようなことは、ジャズに限らずやはり大好きな落語も同様である。聴きたい咄家、面白い企画を思い付くと芸人に声をかけ、同士を集めて皆で楽しむのである。
しばらくお休みしていたが、昨年から復活したのが「屋形船で落語を聴いて飯を食う会」。昨年は浅草の観音様の四万六千日の縁日の直後に夕涼みを兼ねて、桂 平治師匠と奇術の小泉ポロンをおよびして大盛況だった。特に昨年は演芸の後、参加したミュージシャンの花岡詠二やシンガーの野村佳乃子による飛び入り演奏があり、違った楽しみも加わり、まさに真夏の夜の夢となった。
そして今年も7月17日(土)。今上り調子の6代目春風亭柳朝師匠と紙切りの林家楽一をお呼びして催す。ご夫婦で、ご家族で、あるいは親しいお友達連れでお楽しみいただければうれしい限りである。ご興味のある方はお問合せされたし━

好きが嵩じて、実際に楽しんでみたい!と思うといつの間にかやりだしてしまう。有難いことに今の時代、何でもやれそうな可能性に満ちている。言いかえれば、世の中がある意味いい加減だから、それほど障害が大きくない。というより情報が多いのと、特別なことということがなくなってきているから、大抵なことはできそうな気がする。だからこれからも面白そうなことはいろいろとやってみたい。ある程度は時間をかけても━
あの、「昼下がりの情事」…をしてみたい。
(敬称略)

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