「いちご大福な、デュオ」
世の中には組み合わせの妙、というものがある。
食べるものでいえば季節柄、いちご大福などもその一つだろう。24~5年前に初めて赤坂の一ツ木通りで見かけた時は、見かけたと言っても外からの見え方は単なる大福で、中にいちごが入っているかどうか分からない。店頭のビラの「いちご大福」という名前を見た途端に、そんなもの「喰えるか!」と思ったものだ。
大福も好きで旨いと思うし、いちごも旨いと思う。が、これが一つになった旨さの想像がつかなかった。それに昔から甘いものと果物を続けて食べると、果物の淡い甘みが消され酸味だけが残り旨くないと教えられ、自分自身でも確認してきた。
だから昔赤坂で見かけた時も、およそとても喰えそうな代物ではないと思いつつも、大福の持つ潜在的な魅力に負け、そしていい大人にも関わらず珍しいものだからと店先とはいえ試しに食っているんだと、頭の中で言い訳をしながら喰った覚えがある。
さにあらず、これが絶妙に旨い。もちろん製法に工夫もあるだろう。いちごの新鮮な旨さを損なわず、大福を食っている満足感もある。半分喰いちぎった残りを見ると小豆餡の中に真っ赤ないちごが半分ほど残っていて、その餡といちごの和洋混交な対比が異様に見えたが、口の中でモグモグやりながら旨いと分かるにしたがって、旨さのバランスに変わってきてしまった。
先日2月1日に西荻窪の「ミントンハウス」というトラディショナルなジャズのライブハウスで、組み合わせの妙ともいうべきデュオをやった。(時々、私のプロデュースでライブをやらせてもらっている)
スイング界の中堅どころで、かつて「鈴懸の径」の大ヒットを飛ばしたクラリネットの鈴木章治の甥でやはりクラリネットの鈴木直樹と、若いにもかかわらずその音楽性とテクニックでは秀逸のバンジョーの青木 研のデュオである。
クラリネットとバンジョーでは組み合わせの妙どころか、トラッドなセッションではいくらでも考えられるし、またあるだろう。
ところがこの二人微妙に差があって、その微妙な差が組み合わせの妙に繋がっていて興味深い。
というのはバンジョーの青木 研はアメリカの南北戦争(1861~’65)以降、ニューオールリンズで生まれ育った黒人やクレオール(白人と黒人の混血)によるディキシーランドジャズ派で、鈴木直樹はそのディキシーランドジャズを白人のセンスで磨いたとでもいおうか、いわゆるスイング派のクラリネットである。つまりKing Of Swingと呼ばれたベニー・グッドマンの、1930年代に一世を風靡したジャズなのである。
時代的にもオーバーラップしながら、また隣通しでありながら極めれば極めるほどその音楽は違ってくる。
それにこの二人、音楽に携わるようになった動機と環境がまるで違う。
鈴木直樹は父親(鈴木正男=かつてはアルトサックス、現クラリネット)をはじめ、伯父さん(鈴木章治、鈴木敏夫=ピアノ)たちもジャズミュージシャンの恵まれた音楽環境で育った。音高卒業と同時にプロとなった。つまりプロの中で育って、なるべくしてプロになった、と言えよう。
青木 研は7歳の時、拾った二村定一(戦前の歌手・ボードビリアン。「君恋し」や「アラビアの唄」等をヒット。1947年没)のレコードの「ジャズ小唄」を聴いていてその中で使われていたバンジョーに興味を持ち、何年か後にディキシーランドジャズで使われる4弦バンジョーを独学で勉強したという。そして高校時代から都内のライブハウス等で演奏するようになり、卒業と同時に歴史あるディキシーバンド「ディキシーキャッスル」に参加することになる。
二人とも高校を卒業と同時にプロになったという経緯から似ているようにも思えるが、察するにその興味の持ち方と環境からくる習熟の仕方が違うように思う。もちろん前述のようにディキシーランドジャズとスイングジャズの違いはあるが、その音楽性の旨みのようなものに違いがあるように思う。
鈴木直樹は音楽的環境に恵まれていたから、まずは自分の周りにたくさんある音楽の中から、興味のあるものを選んで学び磨くことができた。つまり音楽を、ジャズを、アートとして捉えて身につけてきたような気がする。
それに対して青木 研は、募る音楽(ジャズのジャンルに限らない)への興味をエネルギーに自ら求めて求めて前へ行く。曲に巡り合うチャンスも自ら求めて開き、見聞きして一つ一つものにしていく。だから若いのにも関わらず(31歳)、その曲に纏わる苔のようなさまざまな因縁や臭いまでをも感じ取り、曲の味にしてしまう。もちろん音楽には違いないが、ジャズを芸の域で極めようとしているように思える。
そんな若いにも関わらずトラッドな音楽の青木 研と、10歳ほど上だがスタイル的にはちょっとモダンな鈴木直樹の二人が、カルテットやクインテットの中での二人と言うのではなく、二人だけで、デュオで演奏するのである。そこには我々には分からない様々な微妙な違いが生じ、戸惑いと同時に瞬間的に二人で解決しまとめあげる独特の世界が生まれるのではないだろうか!と、実はそんなところが見たくて、聴きたくて昨年このデュオを企んだのである。
先日鈴木直樹と雑談をしていた時、彼も言っていた。
「この話をウラさんから持ち込まれた時、正直どうしようかと思った。うまくまとめられるか心配になったけどでも面白そうだから、えーい、やってみろ!と思ってやってみたら、これが想像もつかない面白さだった。最近にない刺激と興味で自分自身盛り上がった。何か投げかけると、すぐに返ってくる。しかもその返り方がうれしくなるような絶妙さ!研ちゃんは、ディキシーだけじゃない幅というか、深さを感じて一緒にやっていて面白い!」
こんなところが我々には分からない、プレイヤー同士だからこその感覚だろうが、我々にも演奏の魅力としてビンビン伝わってくるのである。
そんな二人の絶妙なコンビの話をしたくて、冒頭組み合わせの妙などともってまわったような「いちご大福」の話をした。この二人まさに「いちご大福な、コンビ」なのである。その絶にして妙なる「いちご大福」、また近々味わってみたいと思う。
そういえば3月5日(金)のミントンハウスには、1年ぶりにベニー・グッドマントリオの再現(?)が聴きたくて、クラリネット(鈴木直樹)、ピアノ(山本 琢)、ドラムス(八木秀樹)のやはり絶妙なメンバーで組んでいる。これも何と名づけたらいいか、実に楽しみなトリオである。お楽しみに━
食べるものでいえば季節柄、いちご大福などもその一つだろう。24~5年前に初めて赤坂の一ツ木通りで見かけた時は、見かけたと言っても外からの見え方は単なる大福で、中にいちごが入っているかどうか分からない。店頭のビラの「いちご大福」という名前を見た途端に、そんなもの「喰えるか!」と思ったものだ。
大福も好きで旨いと思うし、いちごも旨いと思う。が、これが一つになった旨さの想像がつかなかった。それに昔から甘いものと果物を続けて食べると、果物の淡い甘みが消され酸味だけが残り旨くないと教えられ、自分自身でも確認してきた。
だから昔赤坂で見かけた時も、およそとても喰えそうな代物ではないと思いつつも、大福の持つ潜在的な魅力に負け、そしていい大人にも関わらず珍しいものだからと店先とはいえ試しに食っているんだと、頭の中で言い訳をしながら喰った覚えがある。
さにあらず、これが絶妙に旨い。もちろん製法に工夫もあるだろう。いちごの新鮮な旨さを損なわず、大福を食っている満足感もある。半分喰いちぎった残りを見ると小豆餡の中に真っ赤ないちごが半分ほど残っていて、その餡といちごの和洋混交な対比が異様に見えたが、口の中でモグモグやりながら旨いと分かるにしたがって、旨さのバランスに変わってきてしまった。
先日2月1日に西荻窪の「ミントンハウス」というトラディショナルなジャズのライブハウスで、組み合わせの妙ともいうべきデュオをやった。(時々、私のプロデュースでライブをやらせてもらっている)
スイング界の中堅どころで、かつて「鈴懸の径」の大ヒットを飛ばしたクラリネットの鈴木章治の甥でやはりクラリネットの鈴木直樹と、若いにもかかわらずその音楽性とテクニックでは秀逸のバンジョーの青木 研のデュオである。
クラリネットとバンジョーでは組み合わせの妙どころか、トラッドなセッションではいくらでも考えられるし、またあるだろう。
ところがこの二人微妙に差があって、その微妙な差が組み合わせの妙に繋がっていて興味深い。
というのはバンジョーの青木 研はアメリカの南北戦争(1861~’65)以降、ニューオールリンズで生まれ育った黒人やクレオール(白人と黒人の混血)によるディキシーランドジャズ派で、鈴木直樹はそのディキシーランドジャズを白人のセンスで磨いたとでもいおうか、いわゆるスイング派のクラリネットである。つまりKing Of Swingと呼ばれたベニー・グッドマンの、1930年代に一世を風靡したジャズなのである。
時代的にもオーバーラップしながら、また隣通しでありながら極めれば極めるほどその音楽は違ってくる。
それにこの二人、音楽に携わるようになった動機と環境がまるで違う。
鈴木直樹は父親(鈴木正男=かつてはアルトサックス、現クラリネット)をはじめ、伯父さん(鈴木章治、鈴木敏夫=ピアノ)たちもジャズミュージシャンの恵まれた音楽環境で育った。音高卒業と同時にプロとなった。つまりプロの中で育って、なるべくしてプロになった、と言えよう。
青木 研は7歳の時、拾った二村定一(戦前の歌手・ボードビリアン。「君恋し」や「アラビアの唄」等をヒット。1947年没)のレコードの「ジャズ小唄」を聴いていてその中で使われていたバンジョーに興味を持ち、何年か後にディキシーランドジャズで使われる4弦バンジョーを独学で勉強したという。そして高校時代から都内のライブハウス等で演奏するようになり、卒業と同時に歴史あるディキシーバンド「ディキシーキャッスル」に参加することになる。
二人とも高校を卒業と同時にプロになったという経緯から似ているようにも思えるが、察するにその興味の持ち方と環境からくる習熟の仕方が違うように思う。もちろん前述のようにディキシーランドジャズとスイングジャズの違いはあるが、その音楽性の旨みのようなものに違いがあるように思う。
鈴木直樹は音楽的環境に恵まれていたから、まずは自分の周りにたくさんある音楽の中から、興味のあるものを選んで学び磨くことができた。つまり音楽を、ジャズを、アートとして捉えて身につけてきたような気がする。
それに対して青木 研は、募る音楽(ジャズのジャンルに限らない)への興味をエネルギーに自ら求めて求めて前へ行く。曲に巡り合うチャンスも自ら求めて開き、見聞きして一つ一つものにしていく。だから若いのにも関わらず(31歳)、その曲に纏わる苔のようなさまざまな因縁や臭いまでをも感じ取り、曲の味にしてしまう。もちろん音楽には違いないが、ジャズを芸の域で極めようとしているように思える。
そんな若いにも関わらずトラッドな音楽の青木 研と、10歳ほど上だがスタイル的にはちょっとモダンな鈴木直樹の二人が、カルテットやクインテットの中での二人と言うのではなく、二人だけで、デュオで演奏するのである。そこには我々には分からない様々な微妙な違いが生じ、戸惑いと同時に瞬間的に二人で解決しまとめあげる独特の世界が生まれるのではないだろうか!と、実はそんなところが見たくて、聴きたくて昨年このデュオを企んだのである。
先日鈴木直樹と雑談をしていた時、彼も言っていた。
「この話をウラさんから持ち込まれた時、正直どうしようかと思った。うまくまとめられるか心配になったけどでも面白そうだから、えーい、やってみろ!と思ってやってみたら、これが想像もつかない面白さだった。最近にない刺激と興味で自分自身盛り上がった。何か投げかけると、すぐに返ってくる。しかもその返り方がうれしくなるような絶妙さ!研ちゃんは、ディキシーだけじゃない幅というか、深さを感じて一緒にやっていて面白い!」
こんなところが我々には分からない、プレイヤー同士だからこその感覚だろうが、我々にも演奏の魅力としてビンビン伝わってくるのである。
そんな二人の絶妙なコンビの話をしたくて、冒頭組み合わせの妙などともってまわったような「いちご大福」の話をした。この二人まさに「いちご大福な、コンビ」なのである。その絶にして妙なる「いちご大福」、また近々味わってみたいと思う。
そういえば3月5日(金)のミントンハウスには、1年ぶりにベニー・グッドマントリオの再現(?)が聴きたくて、クラリネット(鈴木直樹)、ピアノ(山本 琢)、ドラムス(八木秀樹)のやはり絶妙なメンバーで組んでいる。これも何と名づけたらいいか、実に楽しみなトリオである。お楽しみに━
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