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浦メシ屋奇談

音楽のこと(特にSwing Jazz)、ミステリーのこと、映画のこと、艶っぽいこと、落語のこと等々どちらかというと古いことが多く、とりあえずその辺で一杯やりながら底を入れようか(飯を喰う)というように好事家がそれとなく寄合う処。“浦メ シ屋~っ!”

2010年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年03月

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かくも遠き、鈴懸の径。

あれからずい分と経つが、印象はまったく薄れない。いや、むしろ聴くたびに新たな感慨がわき上がり、味わい深くなる。
1957年.長野県南部の小さな街伊那市で、商店街のアーケードを歩いていて、突然「鈴懸の径」に足を踏み入れた。衝撃だった。中学生だった。それは鈴木章治&リズムエースが空前のヒットを飛ばした、まさにその時だった。
その商店街のBGMで初めて聴いてから50余年、何十回、何百回この「鈴懸の径」を聴いただろうか。鈴木章治&リズムエースのナマの「鈴懸の径」を聴いたのは、その5年後高校2年の卒業休みの時だった。以来、鈴木章治のクラリネットでのナマの「鈴懸の径」を聴いたのは、数回ぐらいしかない。後の何百回かはリズムエースのレコード(CD)か、他のプレイヤーによる演奏である。
ただ一番多く聴いたのは、あの中学時代に大ヒットを飛ばしたEP盤(今でいうシングル盤)である。この時のレコーディングはお馴染みの方には言うまでもないが、当時初来日していたベニー・グッドマン楽団のリード・アルトのピーナッツ・ハッコーとの2クラリネットでの演奏である。何回も繰り返して聴いているうちに、ピーナッツ・ハッコーが書いたお馴染みの二つのリフ(繰返し部)はもちろん、二人のアドリブまですっかり憶えてしまい、口三味で演奏(?)できるようになってしまった。
もともと「鈴懸の径」は往年の歌手灰田勝彦のハワイアンでのヒット曲である。それを鈴木章治が好んで演奏していたものが、ピーナッツ・ハッコーを加えてのこの演奏ですっかりお馴染みになり、スイングナンバーとしてスタンダード化したのである。
platanus

普通、ジャズというのは、オリジナルの曲にプレイヤーの工夫を加えて自分らしい、あるいはそのグループらしい演奏にして楽しませるものである。
ところがこの「鈴懸の径」に限ってはほとんどのグループ(全てとはいわない)が、このリズムエースの、ピーナッツ・ハッコーが書いたリフをそのまま使い演奏の構成も同じにとっている。
イントロの8小節のファーストリフ、さらに中間でのやはり8小節のセカンドリフの繰返し、さらに最後のエンディング‥お馴染みの繰返しのフレーズまでをもそのまま使っている。というよりきっと、ああやらないと「鈴懸の径」にならない、聴いている我々が「鈴懸の径」として認めない、という空気ができてしまっているのだろう。その位リズムエースの演奏がよくできているし、良く知られ好まれている証拠だろう。
アドリブまで━そう、アドリブまで、あの大ヒット飛ばした時の鈴木章治のフレーズを使って楽しませてくれるのがクラリネットの花岡詠二。彼は、「鈴懸の径」はあの1957年のレコーディング演奏に尽きる(コード進行)、とこだわり続け演奏している。その辺のことは彼のライブやコンサートに顔を出していると聞かれて面白い。
そんなこだわりが、「鈴懸の径」をそっと孤独に歩き続けてきた我々にとっては堪らなくうれしく、またこれで良かったのだと安堵させてくれるのである。
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2月24日、鈴木章治の甥でクラリネットの鈴木直樹の「Good Old Concert vol.7鈴懸の径」コンサートがあった。
もともと鈴木章治&リズムエースにゆかりのあるメンバーでのコンサートということで、メンバーが凄い。ピアノ秋満義孝(リズムエースの初期のメンバー)、ベース根市タカオ、ギター佐久間 和、ドラムス近藤和紀(元リズムエース)、これにクラリネットが鈴木直樹にさらにゲストに花岡詠二。なかなかゆったりとしたいいコンサートだった。
テーマの「鈴懸の径」はコンサート頭でのダイジェスト演奏と、2部に花岡詠二が加わっての2クラリネットでのフル演奏の2回。とくに2回目は鈴木直樹と花岡詠二の演奏に鈴木章治のフレーズが随所に出てきて楽しめた。ギターの佐久間 和まで、当時の名手永田暁雄のフレーズそのままを聴かせて楽しませてくれた。
Oh Lady Be Good、Bei Mir Bist Du Shoen(素敵なあなた)、Petite Fleur(小さな花)、Strike At The Band(バンドよ張り切れ)等々の他、秋満義孝のピアノソロでのTo Love Againなどのシャンペン・ミュージックのメドレー。このピアノソロはこのコンサートの毎回のお楽しみで、味わい深くてうれしくなる。そして、またまた「鈴懸の径」を楽しみながら歩んだひと時だった。
いいコンサートではあったが、願わくば取り留めのない曲の羅列でなく、作品としてのコンサートのまとまりと質を追求して、もっともっと楽しませて欲しい。親しいだけにあえて苦言を呈したい。

思えば常に「鈴懸の径」に導かれながら、スイング・ジャズを長いこと楽しみ続けてきたものである。まだまだこの楽しみは、いや死ぬまで終わらないだろう。
春になり「鈴懸の径」も青々と茂り、大きな木陰での風がうれしい季節がくる。さあ、この先の「鈴懸の径」は一体どんなだろうか。楽しみはつきない。(敬称略)
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