浦メシ屋奇談

音楽のこと(特にSwing Jazz)、ミステリーのこと、映画のこと、艶っぽいこと、落語のこと等々どちらかというと古いことが多く、とりあえずその辺で一杯やりながら底を入れようか(飯を喰う)というように好事家がそれとなく寄合う処。“浦メ シ屋~っ!”

2010年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年08月

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実は甘党です。

最近はあまりないが、鈍行に揺られながら所在無く景色をボンヤリと観ているのが私は好きだ。自分の意思に関係なく、眼の前がどんどん変わっていく━

あんな鬱蒼とした山、登るのは大変だろうなぁ‥と100数十キロで走り抜ける我が身の楽さに浸りながら。
あの二人別れ話かな、朝の連ドラの1シーンみたいだな‥などと道端に自転車を停め話をする男女を遠めに、対岸の花火を特等席で観るような気分で勝手に想像しながら、とりとめも無く夢想に耽りながら列車に乗っているのが堪らなくいい。

実は私にとってスイート音楽を聴くのは、この鈍行に揺られながら車窓からの景色に勝手にあれこれと思いを巡らせて楽しむのとよく似ている。
普通クラシックにしてもジャズにしても、聴こうという意識の元に聴いている。つまり感覚的に前のめりになって聴いているのである、
が、スイートの場合は感覚的に後ろに寄りかかって、流れてくる音楽に身を任せているというようないわゆる受身なのである。もちろん聴きたくて聴いているのだから、ちゃんと聴いてはいるのだが━
Freddy Martin
スイート(Sweet)というのは、音楽的にどんな音楽(演奏)かというのを私は明快には言えないが、アレンジが、サウンドが、まさにスイートなのである。
ソフトで甘いムードもあるが、単に甘いというよりも、快い音楽という意味合いなのだろうと思う。
ただ残念なのは、私自身このスイートという音楽の世界に気がついたのは、というか意識が向いてきたのはついこの14~5年くらいなのである。
何が残念かというと、もともと日本ではスイートスタイルの演奏をするバンドなどそうなかったところへもってきて、もうそんな優雅な時代でなくなってしまったのだろうか、バンドがほとんど見あたらなくなってしまった。

それとアレンジャーもいないらしい。
大体この手のバンドはビッグ・バンドほどの、音の厚い編成ではなく9ピース(人)とか、12ピースとかの編成にストリングス(ヴァイオリンやヴィオラ、チェロなどの弦楽器)が加わったりする。
楽器が少なくなったからといって、その譜面だけ省けばいいということではもちろんない。それでは大切なアンサンブルやアレンジの妙味が出せなくなってしまう。だから編成に合わせたというか、アレンジに合わせた編成で効果的な演奏をするのである。
それからこの手の演奏は楽器の使い方や、フレーズのやりとりに仕掛けをつくり、あるいはメロディの狭間の飾りやさらに転調させたりしてなど、曲想に合わせて縦横無尽に楽しませてくれる。
だからこそアレンジが大切で、演奏の良しあしとともに、アレンジャーの腕の見せ所と言うわけだ。そういったシャレたアレンジャーがいないというのも、この手の演奏が廃れてきた要因だろう。

それにこの手の演奏のできるミュージシャンもなかなかいない。それはそうだろう。いまやそんな演奏をするチャンスがないのだから。プロなら何でもできるというわけにはいかない。そのくらい微妙なものなのだ。
1年ほど前だっただろうか。クラリネットの鈴木直樹がコンサートでビッグ・バンドをやった。その時、メンバーのリストを見せてもらったが、私の知っているメンバーは誰もいなかった。
もちろん私が全てのミュージシャンを知っているわけではないのだが、永年鈴木直樹と一緒に動いているから、彼がいいと思っているメンバーはおおよそ分かっている。
そこでこれはどういうメンバーかを彼に聞いてみると、彼はよくミュージカルなどの仕事をしていて、そんなメンバーからの抜粋だという。
Guy Lonbardo
なるほど。確かにスイングをやろうとしているから、バリバリのスイング・ジャズのプレイヤーを集めるのが普通である。いや、当然である。
ところがこのときのコンサートの、鈴木直樹のコンセプトはちょっと違うところにあったらしい。スイングとはいえ、ソフトでアンサンブルの美しい演奏をしたい、という思いがあったのだそうだ。
これを聞いて、私はちょっと大げさに言えば色めきたった。ジャズのプレイヤーと、劇場でのミュージカルなどのプレイヤーとの演奏の違いが聴き比べられる、ということと共にスイートな生のサウンドが聴かれるかもしれない、と。

コンサートの当日、本番まで我慢できずに私はお願いしてリハーサルに立ち合わせてもらった。
すでにリハーサルは始まっていて会場に入ると、いきなりグレン・ミラーの「In The Mood」が始まった。なるほど、違う違う。アンサンブルがソフトで心地いい。それに各ソロもバリバリ吹かずにシャレている。特にサックスのラインの滑らかなサウンドのうねりがよかった。
なるほど、違うもんだ。おとなしくてつまらない、という人もいるかもしれないが、そんなことはない、これはこれでいい。大いに楽しめる。むしろ私はこの方が好きだ。

本番のコンサートでは、アルト(菅生昌樹)テナー(鈴木 圭)に鈴木直樹のアルトサックスを加えたサックス3人と、さらに大御所秋満義孝のピアノに、ギター(佐久間 和)、ベース(根市タカオ)、ドラムス(近藤和紀)のカルテットによるシャンペン・ミュージック(Champagne Music)もやった。
なるほど、これもあってのこのメンバーだったのか、と合点がいった。
こういうときの秋満義孝のピアノはまた、絶妙である。
またこういう考え方をしながら活動している鈴木直樹に、さらに期待したい。
そう、そういえばシャンペン・ミュージックというのもある。
私は詳しくは知らないが、これは食事の時に演奏されていた軽い音楽のことなんだろうか、踊って良し、話しながら聴いていてもうるさくなく、シャレている。これもいい。が、これなどはもっと聴かれない。

リカルド・サントス楽団(後のウエルナー・ミューラー楽団)が初来日(1958年)した時、クラシックではない描写音楽というか、夢見るような美しい音楽に私は目覚めたような気がする。
ディズニー映画の突然場面転換をしておおらかなロングでの俯瞰シーンになった時のような、深海の美しい魚の群れが優雅に行き交うシーンのような‥音の広がり、美しいハーモニー、そしてこのまま身を任せてしまいたいと思うような快いメロディの流れ‥
Paul Weston
そういえば「赤とんぼ」を、ストリングスで上から下へ、下から上へとうねるように美しく流し、それをバックにお馴染みの赤とんぼのメロディーを聴かせる‥真っ青な空の下、赤とんぼが群れて飛んでいる様が見えたのと同時に、子供心に郷里にいながらにしてなんともいえない郷愁にかられた覚えがある。
そして、ああ、音楽はいいなぁ、演奏する方も聴く方も、どんどんイメージを広げて楽しめるんだ!と教えてもらった。
以来、ジャズに限らず、「ウエストサイド物語」や「南太平洋」などのミュージカル、さらにビリー・ボーン,、エドモンド・ロス、ザビア・クガート、パーシー・フェイス等などのポップスなど、あの頃(昭和30年代前後)でいう軽音楽に惹かれ、やがてスイートに繋がっていったに違いない。

ただ若い頃はジャズに没頭し、またスイートなど聴かれる社交的な場になぞ行かれるわけもなく、スイートに接するチャンスもなかった。
それがやはり年をとるのも満更悪くないということだろうか、感覚が、出入りする場所が少しづつスイートに近づいていった。
とはいえ実際に生で聴いたのは、小原重徳&ニューオータニ・ジョイフル・オーケストラを2~3回ほどである。もっと足繁く通っておけばよかった、と残念に思うのである。
ただ一つ、当時のNHK-TV(司会ジェームス三木、ジュディ・オング)でのジョイフルの映像があり、時々眺め聴き入って悦に入っている。

ガイ・ロンバード、ポール・ウエストン、フレディ・マーティン、サミー・ケイ、ラス・モーガン、フランキー・カール、トニー・パストール、トミー・ドーシー…実にいいもんです。
特に昔、トミー・ドーシー楽団の「I’m Getting Sentimental Over You」の甘い演奏を毎晩のように聴いていて、私はムシ歯になったような気がする。

ただこうして書いていて残念なのは、音楽はいくら書いてもちゃんと伝えられない!ということである。
書いていて。随所にリンクをはって、読みながら聴き、聴きながら読む、というようにできないのかな…著作権問題がややこしいのに違いない、きっと…

少し涼しくなって世間がおとなしくなったら、また鈍行でぶらり出かけてみたくなった。
(敬称略)
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