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浦メシ屋奇談

音楽のこと(特にSwing Jazz)、ミステリーのこと、映画のこと、艶っぽいこと、落語のこと等々どちらかというと古いことが多く、とりあえずその辺で一杯やりながら底を入れようか(飯を喰う)というように好事家がそれとなく寄合う処。“浦メ シ屋~っ!”

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味わい深く、芸は甦る━

カーッと暑い日というのは、頭の中がボンヤリと白日夢化して想いが遠くへいきやすい。
8月は終戦記念日をはじめ戦争に関わる日も多く、またお盆もあり、単に暑いだけでなく特にそんな感覚になりやすいのだが‥この夏はそれに輪をかけて、すでに亡くなられた方々への新たな想いを巡らせることが多かった。

先日、友人が音楽プロデューサーとして関わっていたこともあり、「日本のいちばん長い夏」(監督・脚本 倉内 均)を観た。
これは太平洋戦争が終わって18年後の昭和38年(1963年)に、軍人、政治家、官僚、文化人、新聞記者、俳優、従軍看護婦など、それぞれの立場で過酷な戦争を体験してきた28人が集められ、それぞれの立場・状態での体験とその時の心理状態などを語り合った実際の大座談会を再現したもので、見応えはあった。
またこの映画の見所は、その座談会に集められた28人を、現在活躍中のジャーナリストや脚本家、小説家、漫画家、アニメ映画の監督、大学教授などの文化人がいわゆる文士劇として演じ、さらに彼ら自身の祖父や両親などから見聞きした戦争の話を、本題の座談会の合間に織り込み、内容も見え方も立体構造にしたところにある。
(演技としては座談会の発言シーンでしかないのだが、局面に対しての緊迫感や苦悩、あるいは逆に振り返り語るという自然さなどが足りないために、映画本来の趣旨がもう一つ伝わってこないのは仕方がないことだろうか。)

そういう内容もさることながら、私は昭和38年のその座談会に出ていた何人かの顔ぶれを単に懐かしいと思った。
昭和38年といえば私が高校を卒業した年。当時眼にし耳にした著名人の名前と話を聞いていて、なんだか無性に懐かしいと思ったのだ。そう、ただ懐かしいと思っただけだが、妙に感慨深かった。何だろう、これは━。

大岡昇平、徳川夢声、有馬頼義、岡部冬彦、池部 良‥当時私は小説を、漫画を読み、あるいはラジオからの朗読や話を耳にし、スクリーンでよく観ていた人たちである。
ところが映画の終わりに、私の知るこの5人の方々の内、俳優の池部 良を除いてすでに皆亡くなっている旨を知り、なんともいえない想いがした。
あれから50年近くも経っているのだから、亡くなっていてもおかしくは無い。が、もう亡くなられたと知った瞬間に、当時眼にし耳にした時の感慨をふと想い出したのと同時に、今まで歩んできた路傍の道しるべを見返しているような想いに駆られ、また自分自身そういう想いに浸る歳になったのかと改めて思ったのである。

改めてというのは、さっきもいうようにこのバカ暑い夏(8月)には、何回か同じような想いをしているからだ。
前回「夏の日の、想いも熱きジャズ」で触れた、ギターの蓮見さんを通しての平岡精二(1990年没)もそう。(この前回の平岡精二のStardustのテープについては、メンバーと経緯が大体分かったので、近く紹介させていただく。)
さらにやはり前回にも書いたが、「鈴木正男 & SWING TIMES」の10周年記念コンサートでの松本英彦(2000年没)のテープを聴いていて、しみじみあれこれと想いを巡らせられた。

その後もう一つ、いや二つ。探し物をしていて古い資料の中から興味深いオーディオ・テープを見つけた。
落語と漫才の古いテープ…一つ(6本ひとまとめだが)はやはり34年ほど前(メモには昭和52年とある)にNHK-TVなどで放送した、三代目古今亭志ん朝(2001年没)を中心に、この6月より落語協会の会長になった10代目柳家小三治、六代目三遊亭円生(1979年没)などの高座を記録したものである。
ちなみに志ん朝の「大山詣り」「鰻の幇間」「黄金餅」「たいこ腹」「夢金」「井戸の茶碗」「お化け長屋」、円生の「唐茄子屋政談」「雁風呂」、小三治の「野ざらし」など、いずれも昭和52年の志ん朝独演会、円生独演会、さらに精鋭落語会、落語特選会でのものである。

ところが、これが前回の平岡精二のカセットテープ同様聴かれないのである。今度はマイクロカセットテープで前回よりさらに始末が悪い。
ちなみに平岡精二のテープは、早速カセット・テープレコーダーを購入してきて聴いたのだが、こんどはマイクロ・カセットレコーダーなどいまだに売っているのだろうか。
でも聴きたいから、何とかしてこよう。特に小三治のこの時の「野ざらし」はよく憶えていて、私にとって興味深い高座である。

そのころ私は小三治を理屈っぽくて陰気で、理が見えるようで小うるさい噺家だと思っていた。ところがこの「野ざらし」を聴いて、そんな印象を吹っ飛ばしてしまったことを憶えている。
もちろん三代目春風亭柳好の「野ざらし」とは違って、小三治独特の粘ったしつこさはあったが面白かった。あれ以来、私の中での柳家小三治の印象はまったく変わった。
その時の「野ざらし」だからどうしても聴きたいのだ。聴いたら、またここでご紹介しよう。

もう一つは…これは落語・漫才・浪曲・映画など芸能好きな大先輩に、ずい分前にいだいて、もちろん聴いてはいるがその後仕舞い込んで忘れていたテープである。
これも前々回(「笑わせろ!」)でたまたま書いた都上英二・東喜美江、リーガル千太・万吉、さらに横山エンタツ・花菱アチャコの漫才に、声帯模写の元祖古川ロッパの舞台を録ったもの。
(そういえばエンタツ・アチャコのあの伝説的な「早慶戦」がどこかにあったはずだが‥どうも整理が悪くていけない。今度探してみよう。)

昔聴いた時よりも、今の方が親しみも増して、さらに一言一句の受け答えの面白さが楽しめるのは何故だろう。
それにしても上手い。やり取りのテムポと言葉の選び方が絶妙。都上英二・東喜美江も、エンタツ・アチャコも、千太・万吉もそれぞれのコンビ共に、個性の割り振りがしっかりしていて、その上に台本がいいから真底可笑しい。最近の漫才(のようなもの)のようにふざけているのではなく芸なのである。
古川ロッパの声帯模写(この口演でも言っているが、物まね芸を声帯模写と最初に言ったのはロッパだと言う)にしても、話が面白い。
これが芸なのだろう。その芸の味わいが分かるようになったということなのだろう、と思う。

我々が毎日のように聴いている音楽は、作詞・作曲者も演奏者も殆どが亡くなられている。
だからそんなことは意識をしたこともないのだが、何かの拍子にその死を意識することができた瞬間にその曲が、演奏が違ってくる。
ただ単に曲の良さ、演奏の良さを楽しみ味わっていただけのものから、その人の何かしらの人生に触れながらの鑑賞とでも言おうか、味わいが変わってくる。
お笑いなどは特に、その裏の人生を勝手に拡大して想い味わっているところがある。それが余りにも勝ってくると笑えなくなる。そうさせずに思わず笑わせるのは、やはり卓越した芸なんだろう。
亡くなったことを意識することで、私の中で芸は味わい深く甦る、のである。

こういう想いに浸りながらの物事の鑑賞というのも一興だろう。
夏が来るたびにそんな感覚に陥り、ある意味楽しんでいる。今年のように暑いといつも以上にボンヤリとして、余計にそんな気がしている。
その夏も、あっという間に行ってしまう。

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