手向けの笑い。
鐘がゴンと鳴~りゃサ 上げ潮南サ
カラスがパッと出りゃコリャサノサ
ェェ、骨(コツ)があ~るサーイサイ
ぁ、スチャラカチャン チャン、スチャラカチャン!
お盆である。この5月に一番上の兄貴が逝った。新盆である。
兄弟が多い(7人)から一番下の私とは20も歳が違う。だから兄弟と言っても、そこらで 兄貴だ弟だと言っているのとはちょっと感じが違う。
先日四十九日に行って、ハタと気が付いたことがある。
歳がとてつもなく離れているから、その兄貴に影響されていることなど何もない、と思って いた。が、さにあらず━
私が小学校に入るか入らない頃、長兄はもう25を過ぎていた。
その頃はもちろんTVなどなく、どこの家でも一家団欒の娯楽と言えばラジオである。
当時は親父が他県へ、今で言う単身赴任でいなかったから、ラジオ番組の選択権は当然長兄 にあった。
だから20半ばを過ぎた男の選んだ番組に、毎日小学生が付き合っていたわけだ。
大人のドラマ(放送劇)や朗読、さらに劇場中継や寄席からの演芸中継や歌番組等など…
あの菊田一夫の名作「君の名は」(1952年)も、小3で毎週聞いていた。
だから原作の菊田一夫はもちろん、音楽古関祐而、さらに「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションとそれを読む来宮良子の名前まで覚えてしまった。(それから30年ほどして、来宮良子と仕事をしたときは感激したものである。)
その翌年のやはり菊田一夫原作の連続ラジオドラマ「由紀子」も聞いた覚えがある。
同様に「浪花演芸会」、「日曜演芸会」など、寄席番組もしょっちゅう聞いていたから、小学生にして春風亭柳橋(6代目)だの三遊亭円歌(2代目)だの、金馬(3代目)、三笑亭可楽 (8代目)、古今亭今輔(5代目)だの、詳しくなっていった。
もちろん落語に限らず、浪曲、講談、漫才、俗曲、声帯模写、漫談なども大好きだった。
かくて真田小僧ならず、落語に小うるさい落語小僧が出来ていったのである。
そんなことを考えたこともなかったが、そういう意味では私の落語好きは兄貴譲り、いわば兄貴が残して行ってくれた財産なのである。
随分すごい財産を残して行ってくれたものだと、改めてつくづく思う

兄貴の新盆の手向けに落語を、と考えたらやはりこれかな!
「野ざらし」、そう「野ざらし」と言えば三代目春風亭柳好だろう。
噺自体もお盆にふさわしいような気がするが(実際は春か秋の噺とされているようだが━)、ラジオで盛んに落語を聞いていた昭和20年代後半、幇間上がりのあのキレのいい歌い調子と言われた口調と抱腹絶倒の面白さが好きだった。
(ただラジオと言ってもNHKであまり聞いた覚えはなかった。後で調べるとラジオ東京=TBSの専属だったらしい)
四方の山々 雪溶けかけて
水かさ増さる大川の上げ潮南に
岸を洗う水の音がザブ~リザブリ
鐘をカンカン ポンポン
叩いて仏になるならば
時計屋の周りはあらかた仏ばかり
等々、柳好の「野ざらし」では妙な歌とか言い回しをずいぶんと覚えたものだ。
枯れ葦を分けて入っていって、野に晒された骨を見つけるのだが、その状況を話す隠居とそれを聞く隣の八ッつぁんとのやりとりの件が好きだ。
隠 そこに一つの髑髏(どくろ)があった。
八 ハハ━、唐傘の壊れたの?
隠 それはろくろだよ!屍だ!
八 ああ、赤羽か!
隠 人骨野ざらしだよ!
八 ハハ━、そうですか、人骨野ざらし!アハハハハ~、ってのは何です?
兄貴は4~5年前から、一度寄席へ連れて行ってくれ、と言っていた。
私が毎年やっている「屋形船で落語を聞いてメシを喰う会」にも以前誘ったこともあるが、その時は体調が悪く来られなかった。
一度、寄席の真ん中で噺家の高座を見せて聞かせて、寄席の雰囲気をたっぷり味あわせてやりたかった。
手向けの笑い。
三代目 春風亭柳好の「野ざらし」である。
カラスがパッと出りゃコリャサノサ
ェェ、骨(コツ)があ~るサーイサイ
ぁ、スチャラカチャン チャン、スチャラカチャン!
お盆である。この5月に一番上の兄貴が逝った。新盆である。
兄弟が多い(7人)から一番下の私とは20も歳が違う。だから兄弟と言っても、そこらで 兄貴だ弟だと言っているのとはちょっと感じが違う。
先日四十九日に行って、ハタと気が付いたことがある。
歳がとてつもなく離れているから、その兄貴に影響されていることなど何もない、と思って いた。が、さにあらず━
私が小学校に入るか入らない頃、長兄はもう25を過ぎていた。
その頃はもちろんTVなどなく、どこの家でも一家団欒の娯楽と言えばラジオである。
当時は親父が他県へ、今で言う単身赴任でいなかったから、ラジオ番組の選択権は当然長兄 にあった。
だから20半ばを過ぎた男の選んだ番組に、毎日小学生が付き合っていたわけだ。
大人のドラマ(放送劇)や朗読、さらに劇場中継や寄席からの演芸中継や歌番組等など…
あの菊田一夫の名作「君の名は」(1952年)も、小3で毎週聞いていた。
だから原作の菊田一夫はもちろん、音楽古関祐而、さらに「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションとそれを読む来宮良子の名前まで覚えてしまった。(それから30年ほどして、来宮良子と仕事をしたときは感激したものである。)
その翌年のやはり菊田一夫原作の連続ラジオドラマ「由紀子」も聞いた覚えがある。
同様に「浪花演芸会」、「日曜演芸会」など、寄席番組もしょっちゅう聞いていたから、小学生にして春風亭柳橋(6代目)だの三遊亭円歌(2代目)だの、金馬(3代目)、三笑亭可楽 (8代目)、古今亭今輔(5代目)だの、詳しくなっていった。
もちろん落語に限らず、浪曲、講談、漫才、俗曲、声帯模写、漫談なども大好きだった。
かくて真田小僧ならず、落語に小うるさい落語小僧が出来ていったのである。
そんなことを考えたこともなかったが、そういう意味では私の落語好きは兄貴譲り、いわば兄貴が残して行ってくれた財産なのである。
随分すごい財産を残して行ってくれたものだと、改めてつくづく思う

兄貴の新盆の手向けに落語を、と考えたらやはりこれかな!
「野ざらし」、そう「野ざらし」と言えば三代目春風亭柳好だろう。
噺自体もお盆にふさわしいような気がするが(実際は春か秋の噺とされているようだが━)、ラジオで盛んに落語を聞いていた昭和20年代後半、幇間上がりのあのキレのいい歌い調子と言われた口調と抱腹絶倒の面白さが好きだった。
(ただラジオと言ってもNHKであまり聞いた覚えはなかった。後で調べるとラジオ東京=TBSの専属だったらしい)
四方の山々 雪溶けかけて
水かさ増さる大川の上げ潮南に
岸を洗う水の音がザブ~リザブリ
鐘をカンカン ポンポン
叩いて仏になるならば
時計屋の周りはあらかた仏ばかり
等々、柳好の「野ざらし」では妙な歌とか言い回しをずいぶんと覚えたものだ。
枯れ葦を分けて入っていって、野に晒された骨を見つけるのだが、その状況を話す隠居とそれを聞く隣の八ッつぁんとのやりとりの件が好きだ。
隠 そこに一つの髑髏(どくろ)があった。
八 ハハ━、唐傘の壊れたの?
隠 それはろくろだよ!屍だ!
八 ああ、赤羽か!
隠 人骨野ざらしだよ!
八 ハハ━、そうですか、人骨野ざらし!アハハハハ~、ってのは何です?
兄貴は4~5年前から、一度寄席へ連れて行ってくれ、と言っていた。
私が毎年やっている「屋形船で落語を聞いてメシを喰う会」にも以前誘ったこともあるが、その時は体調が悪く来られなかった。
一度、寄席の真ん中で噺家の高座を見せて聞かせて、寄席の雰囲気をたっぷり味あわせてやりたかった。
手向けの笑い。
三代目 春風亭柳好の「野ざらし」である。
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