浦メシ屋奇談

近頃じっくり腰を据えて居続けられるところはないか、と探すようになった。メシ屋だか呑み屋だか、この裏に節操なく何でも出てくる店を見つけた。地に足の付かない、あれこれ。浦メ シ屋~っ!

2015年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年03月

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"遅かりし、お富さん!"

聴いておくべき時に聴いた演奏、と
観ておくべき時に見過ごしてしまった映画、のこと。

最近、BSなどで昔見過ごしてしまっていた名画が次々とオンエアされ、新たな楽しみが募っている。
新たなというのは、チャンネルが多いだけに今までのようないわゆる名画だけでは間に合わないらしく、二流三流どころの曰く因縁付の名画(?)にも出会えるのである。
だから番組表を見てこれはという映画は録っておいて、時間のある時に小刻みにでもまめに観るようにしている。

そんな中に、昭和35年(1960年)大映製作の『切られ与三郎』があった。
(断わっておくが、これが二流三流どころの━というわけではない。)
当時どうしてこれを観ていなかったのか分からない。映画そのものに覚えがないから、まったく知らなかったに違いない。
昭和35年と言えば私は高校生になったばかりだが、中学生の頃から映画が好きで、田舎のことで学校で許可したもの以外は観てはいけないのを隠れて映画館へ通っており、小学生のころからラジオでの落語や劇場中継などが好きで、春日八郎の『お富さん』(1954年)の大ヒットもあって知っていればこんなバリバリの芝居ものを放っておく筈が無いのである。

特に当時から好きだった市川雷蔵主演を見過ごしていたとは━
同時期の市川雷蔵の『好色一代男』や『歌行燈』、『初春狸御殿』、『大菩薩峠』、『沓掛時次郎』など結構観ているのに、しかも同じ伊藤大輔監督の芝居もの『弁天小僧』(1958年)は観ており、その翌々年公開の『切られ与三郎』を何故知らずにいたのかが不思議だ。

何故こんなに悔しがるかというと、今回その『切られ与三郎』を観てさすが伊藤大輔(脚本・監督)であり、宮川一夫(撮影)であるとつくづく思ったからであり、芝居と映画の接点をついたというか独特のエンターテイメントとでもいおうか、そしてそれに伴う宮川一夫のカメラがいい。アップが堪らない。
なんでこれを当時観なかったのかと、重ね重ね残念で堪らない。

堪らないもう一つの大きな理由は、お富を演じた淡路恵子である。
当時淡路恵子は25~6歳のはずで東宝に属しており、森繁の駅前シリーズや社長シリーズにバーのマダム役などで出ており、大抵は観ているがあまり気にしてはいなかった。
そう言えば、NHKの日曜日の『若い季節』(昭和36年)の中での、銀座プランタン化粧品の女社長の淡路恵子は良く憶えている。
この程度の印象でしかなかった淡路恵子だったのだが、それから50数年経ってから残念で堪らない思いになったのである。

この映画での淡路恵子のお富の艶っぽさは尋常ではない。
ただこのお富の艶っぽさはもちろん淡路恵子だけによるものではない。脚本・監督の伊藤大輔とカメラの宮川一夫両巨匠によるところが大きいと思う。

我々が良く知るお富と切られ与三郎は━
与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
お 富:そういうお前は。
与三郎:与三郎だ。
━のやり取りでお馴染みの玄冶店の場である。
この後の台詞に━
「お主やぁ、俺を見忘れたか…しがねぇ恋の情けが仇。命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から、巡る月日も三年越し…」と続くのだが、木更津でのお富との出会いから色恋沙汰で命のやり取りをするような危ない目にあいながら、お互いに死んだと思いながらの江戸の玄冶店での再会ということなのである。

この木更津での市川雷蔵の与三郎と、淡路恵子のお富との出会いが何ともいい。
江戸を離れて木更津で新内の流しをしている与三郎の三味線を、やはり江戸から落ちてきていたお富が耳にして、「おや、本筋だよ、この三味線」と気にかけ、次に来たときに呼び上げる。
ここで女は恐い、と避けようとする与三郎を、「太夫、女のあたしに言わせる気かい?」と淡路恵子のお富が迫るのだが、この演出とカメラと淡路恵子の演技が、もうどうしようもなくいい。
このシーンを50数年前の高校生の時に観ていたら、と思うと何とも悔しいのである。

市川雷蔵の与三郎の顔にとまった蚊をお富がとってやり、「今度はあたしの番だ」と左頬にとまった蚊を与三郎に教えとってもらおうとするのだが、その時の淡路恵子の顔の演技が…この年にして、あゝなんてこった!というくらいぞくぞくした。
少年時代に観ていたら、きっと女性観が、いやいや人生観までをも変わっていたに違いない。
映画「切られ与三郎」淡路恵子
あの頃私は高校生のくせして瑳峨三智子(山田五十鈴の娘)にぞっこんだった。
淡路恵子は瑳峨三智子より二つくらい上のはずだから、その二つの差がいろいろと出ているのに違いない。
とにかく、あの頃知っておくべき(?)おんなの艶っぽさだったと今にして思うのである。
そのくらいに凄かった。

音楽、ジャズにも聴くべき時に聴くことができて良かったという演奏がある。
昭和32年(1957年)ベニー・グッドマンのオーケストラとともに来日したピーナッツ・ハッコーを加えて吹き込んだ、鈴木彰治とリズムエースのコンパクト盤『鈴懸の径』が、私にはそうである。
もちろんタイトルの『鈴懸の径』の演奏も良かったのだが、裏面の『I Surrender Dear』(この演奏にはピーナッツ・ハッコーは加わっていない)に、当時中学生だった私はいたく惹かれた。
この『I Surrender Dear』に中学2年の私は恋を、恋の切なさを教えてもらったような気がする。
以来いまだにこの時の『I Surrender Dear』を時々聴いている。
私の音楽(ジャズ)観、いささかオーバーのようだが人生観にも影響を及ぼしているように思う。
昭和32年、レコードとは言えリアルタイムであの演奏に立ち会え、聴くことができて、ホントに良かったと思っている。
その『I Surrender Dear』については、別の時に書いてみようと思う。
鈴木章治とリズムエース「I Surrender Dear」

あの少年の頃、音楽で恋の切なさを知るとともに、映画でその恋の相手となる女性の色濃さを知っていたとしたら…我が人生ももっと面白かっただろうなと思う反面、恐ろしい気がしないでもない。

その淡路恵子も昨年(2014年)1月11日に亡くなられてしまった。
心からご冥福をお祈りいたします。(合掌)
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