笑わせろ!
歳のせいなんだろうか‥やっぱりそうなんだろうな‥
最近の漫才というか、コントを観て聞いていて少しも面白いとは思わないし、笑えない。
笑いは時代を映す、という側面があると言うから、最近の笑いが面白いと思えないのは、やはり歳のせいに違いない。ついでに年寄りの僻みとして言わせてもらえば、あの程度の笑いなど分からなくて結構、と開き直らせてもらっている。
どうもこの「浦メシ屋奇談」は昔は良かった的な話が多くて、愚痴っぽくて小言っぽくていけない。とは言いつつも、漫才にしても、漫談などのピン(1人)芸にしても、お笑いグループにしても、コメディや軽演劇にしても‥やっぱり昔の方が面白かった。
ただ軽演劇などは今や東京ではほとんど観られず、NHKの「コメディ お江戸でござる(コメディ 道中でござる)」(1995年~2004年)以来TVではお目にかかっていない。
大阪には「吉本新喜劇」があり、「松竹新喜劇」を軽演劇と言えるのかどうか分からないが、大阪には伝統的な喜劇があってうらやましい。
同じようなお笑いで昔も今もあるものと言えば、漫才である。ただ、最近二人でやっているのを単純に漫才と言っていいのかどうか分からない。むしろコントの方が多い。
コントと漫才の厳密な違いなど知らないが、コントを素材に漫才をしている、とでも言おうか、しゃべり芸の面白さとして楽しめるものが少ない。
笑いにつながるきっかけと言うかアイディアを、そのまま披露しているに過ぎないような気がする。つまりふざけているだけで、芸になっていないお笑いが横行しているように思う。
芸になっていないから、一つ笑ってもらえると、同じようなものをパターン化してぶつけてくる。やってる方はともかく、見聞きしている我々は笑いながらいつの間にか素になってくる。やがて鼻について笑えなくなるのである。
芸というのはその人そのものをどう出すかだと思う。面白いことを言うから、あるいは可笑しい仕草をするから可笑しいのではなく、その人が面白いからその言うことや仕草がそこはかとなく笑える。それが芸である。
そんな小うるさいことはどうでもいいことだが、要は笑いたいのだ。芸に会いたいのだ。漫才にしても昔のラジオで聴いていた頃は面白かった。
ミヤコ蝶々・南都雄二。蝶々の独特の理屈っぽい大阪弁のゆったりとしたおばさん口調のテンポと間。それとまごまごしたおっさん南都雄二の受答えが可笑しかった。
秋田Aスケ・Bスケ。やはり大阪の漫才。私が知っているのは二代目のBスケらしいが、猿の物真似が上手いらしく盛んにやっていたらしい。ラジオだからまったく見えないのだが、聴いてるだけでも何故か可笑しかった。
都上英二・東喜美江。東京の音曲漫才。
♪キミと一緒に歌の旅~、歌えばた~のしユートピア、昨日も今日も朗らかに~、陽気な歌の二人旅~、ギター弾こうよ三味弾こよ~、弾~けば一人で歌がで~るぅ~♪
このオープニング・テーマで小学生の私は「ユートピア」という英語を覚えた。
もう一組音曲漫才で忘れられないのが、宮田洋容・布地由起江のコンビ。「洋容さん、ようようさん!」と甲高い声で呼んでいる、布地由起江の声をいまだに想い出す。
昭和の時代までは他にも面白い漫才はたくさんいた。
中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、ミスワカサ・島ひろし、海原お浜・小浜、西川やすし・きよし、東京ではリーガル千太・万吉、内海桂子・好江、獅子てんや・瀬戸わんや、春日三球・照代、晴乃ピーチク・パーチク等々、しゃべくりの面白さのコンビをあげたらきりが無い。みんな独特の面白さを持っていた。
そして何年にもわたって彼らの漫才を聴いていると、同じネタに何回も出会う。しかしこれが何回聴いても面白い。
漫才ではないが蛇使いのコントで売った東京コミックショーは、他にもネタはあったにも関わらずテレビではほとんどあの「レッドスネーク、カモン!」をやっていた。
それがまた何回観ても面白い。こうなると古典落語と同じで、観客も言うことやることすべて分かっていてやらせる。と言うより、やらないと客が許さない。何十年やっていただろうか、鼻につくなどということは毛頭無かった。これが芸である。
(東京コミックショー、ショパン猪狩、懐かしい限り。2005年没)
そういえばあの頃、音楽家としても一流のコミックバンドがずい分あった。
ハナ肇とクレイジー・キャッツ、小野やすしとドンキー・カルテット、♪地球の上に朝が来りゃあ、その裏側は夜だ~ろう‥♪の川田晴久のあきれたぼういずの流れを汲むボーイズものの小島宏之とダイナ・ブラザーズ、灘康次とモダンカンカン、さらに♪金もいらなきゃ女もいらぬ、私ゃも少し背が欲しい♪と来る三味線、ギターの歌謡浪曲グループ玉川カルテット‥皆まさに芸人ぞろい。いや~、面白かった。
特にクレイジー・キャッツの植木等(ギター)や谷啓(トロンボーン)、桜井センリ(ピアノ)はフランキー堺率いる冗談音楽のザ・シティ・スリッカーズ(1954~1957年)で活躍し、解散後クレイジー・キャッツに移り、他のメンバーと一緒に芸に音楽にとさらに磨きをかけるのである。
クレイジー・キャッツのメンバーは、その後も「スイング・ジャーナル」誌の各楽器部門での人気投票のベスト10に常に名を連ねていた。(そう言えば、「スイングジャーナル」も無くなってしまった。これも時代である‥)

前述のように最近ではあまり観られないが、私の大好きなお笑いと言うと軽演劇である。
あまり懐古的に並べあげても仕方がないので、ここでは1960年頃やっていた以前にもちょっと書いたが「雲の上団子郎一座」を紹介してみようと思う。
エノケンの雲の上団子郎一座の巡業先での様々な出来事と、その一座が演じる出し物が絡み合うという芝居で、これは可笑しかった。こんな面白いものは後にも先にも観たことも聞いたこともない。
第一役者が凄い。エノケン、由利徹、八波むと志、三木のり平、森川信、そうだフランキー堺もいた。(映画もあったから、映画とごっちゃになっているかもしれない)
中でも秀逸に可笑しかったのは、劇中劇の「源氏店」(げんやだな)。歌舞伎の「予話情浮名横櫛」(よはなさけうきなのよこぐし)。「切られ与三」、あるいは「お富与三郎」のあれである。
今の若い連中にこういう話をしても皆目分からないからつまらない。我々の世代だと例え歌舞伎の「源氏店」は詳しく知らなくても、春日八郎の「お富さん」の歌で知ってる。
♪粋な黒塀 見越しの松に仇な姿の洗い髪 死んだはずだよお富さん…♪
何でもいい。この歌を知っているだけでも、この芝居が分かるから、あの時代はまさに面白い。いやいや、歌舞伎の「源氏店」は知らなくとも、またこの「お富さん」の歌を知らなくとも、役者の凄さ、芝居の完成度の高さですっかり笑わされてしまう。
蝙蝠安(こうもりやす)というチンピラに連れられて、“切られ与三郎”と異名をとる与三郎が強請りに入ったその妾宅にいたのが、かつて自分の女だった「お富」。
この「雲の上団五郎一座」では、そのお富に昔のことをちらつかせて掛け合おうと、八波むと志の蝙蝠安が三木のり平の与三郎に、お馴染みの台詞を言いながらお富の家に上がるところからを教え込もうとするのだが、これがもう抱腹絶倒。
一見強面で無骨な八波むと志と、猫背で及び腰の情けなさそうな三木のり平のやり取りがどうしようもなく可笑しい。
左右の手を交互に出しながら、その手と互い違いに左右の足を出し一歩一歩前に進みながら、「ご新造さんえ~、おかみさんえ~、お富さんえ~、イヤサお富、久しぶりだな~あ!」と胡坐をかいて凄むところを稽古をするのだが、これが上手くいかない。
手と足の同じ方が同時に出てしまい、まるで間抜けになってしまう。ニコリともしない三木のり平の間延びのした真面目顔は、今想い出すだけでも可笑しい。
そしてお富の家に行ってこれを実際にやるのだが、今度はそこへ由利徹のお富がからんでくるから、もうどうにもならない。まさに腹を抱えて、頬の筋肉が痛くて助けを請いながら笑ったのを憶えている。
今こうして思い起こしながらあの舞台の様子を書いているだけでも、笑い出してしまう。ただこれは単にフザケて可笑しいのとは全く違う。彼らそのものが、彼らの存在そのものが可笑しく感じられるのである。まさしく芸である。
この雲の上団子郎一座の座長であるエノケンについてだが‥私がエノケンを意識するようになるのは晩年に近く、また脱疽で脚を切り落とす辺りからと言うことがあるかも知れないが、私はエノケンをあまり笑えなかった。実はチャップリンも同じである。何だか余り笑えなかった。
ただエノケンの外国の曲を取り入れるセンスと、あの歌は凄いと思った。「月光値千金」、「ダイナ」などはもともとああいう歌かと思った。
♪「ダンナー のませてちょうダイナー おごってちょうダイナー~♪
上手いもんだと思ったら、サトウハチローの作詞だそうだ。やっぱりあの時代は凄かった。
三木のり平で想い出すことがもう一つある。
マルセル・マルソー(1923年~2007年)と言えばパントマイム・アーティストとしては第一人者であるが、三木のり平がマネスル・ノリソーの名でパントマイムをやっていた。
有島一郎とコンビでやっていたのをテレビで観たことがある。ニコリとも笑わないとぼけ顔の二人が、重なるようにして全く同じ動きを舞台狭しとやっていた。これも可笑しかった。凄かった。
あの頃の映像はどこかで観られないものだろうか。是非観てみたい。東宝の「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」なら観ることができるだろうから、その片鱗を窺うことができるだろう。
森繁久弥の「社長シリーズ」(1956~1970年、監督松林宗恵 東宝)も欠かさず観ていた。
森繁久弥をはじめ、加東大介、小林桂樹、フランキー堺、山茶花究、三木のり平、有島一郎、東野英治郎等々。そして女優陣は淡路恵子、久慈あさみ、草笛光子、団令子等々‥こんな芸達者がゾロッと出ていたんだから、面白くないわけが無い(何を隠そう、私の従姉も出ていた)。
「駅前シリーズ」(1958~1969年、監督豊田四郎、久松静児、佐伯幸三他 東宝)もほぼ同じで、伴淳(伴淳三郎)もレギュラーだった。こんな役者を平行して使って2シリーズ作っていたんだから、あの頃は凄かった。そして面白かった。
とにかく笑いたい!それも脇の下を擽られるような笑いでなく、思考能力を刺激するような、思わず笑い出しそして止まらなくなるような笑いが私は好きだ。
そこには緻密な計算と細心の演技が織り成す芸があり、その芸人の一世一代の芸にもう一度私は乗ってみたい。
※芸人や役者の羅列は、私の思いつくままに並べたもので順不同です。
最近の漫才というか、コントを観て聞いていて少しも面白いとは思わないし、笑えない。
笑いは時代を映す、という側面があると言うから、最近の笑いが面白いと思えないのは、やはり歳のせいに違いない。ついでに年寄りの僻みとして言わせてもらえば、あの程度の笑いなど分からなくて結構、と開き直らせてもらっている。
どうもこの「浦メシ屋奇談」は昔は良かった的な話が多くて、愚痴っぽくて小言っぽくていけない。とは言いつつも、漫才にしても、漫談などのピン(1人)芸にしても、お笑いグループにしても、コメディや軽演劇にしても‥やっぱり昔の方が面白かった。
ただ軽演劇などは今や東京ではほとんど観られず、NHKの「コメディ お江戸でござる(コメディ 道中でござる)」(1995年~2004年)以来TVではお目にかかっていない。
大阪には「吉本新喜劇」があり、「松竹新喜劇」を軽演劇と言えるのかどうか分からないが、大阪には伝統的な喜劇があってうらやましい。
同じようなお笑いで昔も今もあるものと言えば、漫才である。ただ、最近二人でやっているのを単純に漫才と言っていいのかどうか分からない。むしろコントの方が多い。
コントと漫才の厳密な違いなど知らないが、コントを素材に漫才をしている、とでも言おうか、しゃべり芸の面白さとして楽しめるものが少ない。
笑いにつながるきっかけと言うかアイディアを、そのまま披露しているに過ぎないような気がする。つまりふざけているだけで、芸になっていないお笑いが横行しているように思う。
芸になっていないから、一つ笑ってもらえると、同じようなものをパターン化してぶつけてくる。やってる方はともかく、見聞きしている我々は笑いながらいつの間にか素になってくる。やがて鼻について笑えなくなるのである。
芸というのはその人そのものをどう出すかだと思う。面白いことを言うから、あるいは可笑しい仕草をするから可笑しいのではなく、その人が面白いからその言うことや仕草がそこはかとなく笑える。それが芸である。
そんな小うるさいことはどうでもいいことだが、要は笑いたいのだ。芸に会いたいのだ。漫才にしても昔のラジオで聴いていた頃は面白かった。
ミヤコ蝶々・南都雄二。蝶々の独特の理屈っぽい大阪弁のゆったりとしたおばさん口調のテンポと間。それとまごまごしたおっさん南都雄二の受答えが可笑しかった。
秋田Aスケ・Bスケ。やはり大阪の漫才。私が知っているのは二代目のBスケらしいが、猿の物真似が上手いらしく盛んにやっていたらしい。ラジオだからまったく見えないのだが、聴いてるだけでも何故か可笑しかった。
都上英二・東喜美江。東京の音曲漫才。
♪キミと一緒に歌の旅~、歌えばた~のしユートピア、昨日も今日も朗らかに~、陽気な歌の二人旅~、ギター弾こうよ三味弾こよ~、弾~けば一人で歌がで~るぅ~♪
このオープニング・テーマで小学生の私は「ユートピア」という英語を覚えた。
もう一組音曲漫才で忘れられないのが、宮田洋容・布地由起江のコンビ。「洋容さん、ようようさん!」と甲高い声で呼んでいる、布地由起江の声をいまだに想い出す。
昭和の時代までは他にも面白い漫才はたくさんいた。
中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、ミスワカサ・島ひろし、海原お浜・小浜、西川やすし・きよし、東京ではリーガル千太・万吉、内海桂子・好江、獅子てんや・瀬戸わんや、春日三球・照代、晴乃ピーチク・パーチク等々、しゃべくりの面白さのコンビをあげたらきりが無い。みんな独特の面白さを持っていた。
そして何年にもわたって彼らの漫才を聴いていると、同じネタに何回も出会う。しかしこれが何回聴いても面白い。
漫才ではないが蛇使いのコントで売った東京コミックショーは、他にもネタはあったにも関わらずテレビではほとんどあの「レッドスネーク、カモン!」をやっていた。
それがまた何回観ても面白い。こうなると古典落語と同じで、観客も言うことやることすべて分かっていてやらせる。と言うより、やらないと客が許さない。何十年やっていただろうか、鼻につくなどということは毛頭無かった。これが芸である。
(東京コミックショー、ショパン猪狩、懐かしい限り。2005年没)
そういえばあの頃、音楽家としても一流のコミックバンドがずい分あった。
ハナ肇とクレイジー・キャッツ、小野やすしとドンキー・カルテット、♪地球の上に朝が来りゃあ、その裏側は夜だ~ろう‥♪の川田晴久のあきれたぼういずの流れを汲むボーイズものの小島宏之とダイナ・ブラザーズ、灘康次とモダンカンカン、さらに♪金もいらなきゃ女もいらぬ、私ゃも少し背が欲しい♪と来る三味線、ギターの歌謡浪曲グループ玉川カルテット‥皆まさに芸人ぞろい。いや~、面白かった。
特にクレイジー・キャッツの植木等(ギター)や谷啓(トロンボーン)、桜井センリ(ピアノ)はフランキー堺率いる冗談音楽のザ・シティ・スリッカーズ(1954~1957年)で活躍し、解散後クレイジー・キャッツに移り、他のメンバーと一緒に芸に音楽にとさらに磨きをかけるのである。
クレイジー・キャッツのメンバーは、その後も「スイング・ジャーナル」誌の各楽器部門での人気投票のベスト10に常に名を連ねていた。(そう言えば、「スイングジャーナル」も無くなってしまった。これも時代である‥)

前述のように最近ではあまり観られないが、私の大好きなお笑いと言うと軽演劇である。
あまり懐古的に並べあげても仕方がないので、ここでは1960年頃やっていた以前にもちょっと書いたが「雲の上団子郎一座」を紹介してみようと思う。
エノケンの雲の上団子郎一座の巡業先での様々な出来事と、その一座が演じる出し物が絡み合うという芝居で、これは可笑しかった。こんな面白いものは後にも先にも観たことも聞いたこともない。
第一役者が凄い。エノケン、由利徹、八波むと志、三木のり平、森川信、そうだフランキー堺もいた。(映画もあったから、映画とごっちゃになっているかもしれない)
中でも秀逸に可笑しかったのは、劇中劇の「源氏店」(げんやだな)。歌舞伎の「予話情浮名横櫛」(よはなさけうきなのよこぐし)。「切られ与三」、あるいは「お富与三郎」のあれである。
今の若い連中にこういう話をしても皆目分からないからつまらない。我々の世代だと例え歌舞伎の「源氏店」は詳しく知らなくても、春日八郎の「お富さん」の歌で知ってる。
♪粋な黒塀 見越しの松に仇な姿の洗い髪 死んだはずだよお富さん…♪
何でもいい。この歌を知っているだけでも、この芝居が分かるから、あの時代はまさに面白い。いやいや、歌舞伎の「源氏店」は知らなくとも、またこの「お富さん」の歌を知らなくとも、役者の凄さ、芝居の完成度の高さですっかり笑わされてしまう。
蝙蝠安(こうもりやす)というチンピラに連れられて、“切られ与三郎”と異名をとる与三郎が強請りに入ったその妾宅にいたのが、かつて自分の女だった「お富」。
この「雲の上団五郎一座」では、そのお富に昔のことをちらつかせて掛け合おうと、八波むと志の蝙蝠安が三木のり平の与三郎に、お馴染みの台詞を言いながらお富の家に上がるところからを教え込もうとするのだが、これがもう抱腹絶倒。
一見強面で無骨な八波むと志と、猫背で及び腰の情けなさそうな三木のり平のやり取りがどうしようもなく可笑しい。
左右の手を交互に出しながら、その手と互い違いに左右の足を出し一歩一歩前に進みながら、「ご新造さんえ~、おかみさんえ~、お富さんえ~、イヤサお富、久しぶりだな~あ!」と胡坐をかいて凄むところを稽古をするのだが、これが上手くいかない。
手と足の同じ方が同時に出てしまい、まるで間抜けになってしまう。ニコリともしない三木のり平の間延びのした真面目顔は、今想い出すだけでも可笑しい。
そしてお富の家に行ってこれを実際にやるのだが、今度はそこへ由利徹のお富がからんでくるから、もうどうにもならない。まさに腹を抱えて、頬の筋肉が痛くて助けを請いながら笑ったのを憶えている。
今こうして思い起こしながらあの舞台の様子を書いているだけでも、笑い出してしまう。ただこれは単にフザケて可笑しいのとは全く違う。彼らそのものが、彼らの存在そのものが可笑しく感じられるのである。まさしく芸である。
この雲の上団子郎一座の座長であるエノケンについてだが‥私がエノケンを意識するようになるのは晩年に近く、また脱疽で脚を切り落とす辺りからと言うことがあるかも知れないが、私はエノケンをあまり笑えなかった。実はチャップリンも同じである。何だか余り笑えなかった。
ただエノケンの外国の曲を取り入れるセンスと、あの歌は凄いと思った。「月光値千金」、「ダイナ」などはもともとああいう歌かと思った。
♪「ダンナー のませてちょうダイナー おごってちょうダイナー~♪
上手いもんだと思ったら、サトウハチローの作詞だそうだ。やっぱりあの時代は凄かった。
三木のり平で想い出すことがもう一つある。
マルセル・マルソー(1923年~2007年)と言えばパントマイム・アーティストとしては第一人者であるが、三木のり平がマネスル・ノリソーの名でパントマイムをやっていた。
有島一郎とコンビでやっていたのをテレビで観たことがある。ニコリとも笑わないとぼけ顔の二人が、重なるようにして全く同じ動きを舞台狭しとやっていた。これも可笑しかった。凄かった。
あの頃の映像はどこかで観られないものだろうか。是非観てみたい。東宝の「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」なら観ることができるだろうから、その片鱗を窺うことができるだろう。
森繁久弥の「社長シリーズ」(1956~1970年、監督松林宗恵 東宝)も欠かさず観ていた。
森繁久弥をはじめ、加東大介、小林桂樹、フランキー堺、山茶花究、三木のり平、有島一郎、東野英治郎等々。そして女優陣は淡路恵子、久慈あさみ、草笛光子、団令子等々‥こんな芸達者がゾロッと出ていたんだから、面白くないわけが無い(何を隠そう、私の従姉も出ていた)。
「駅前シリーズ」(1958~1969年、監督豊田四郎、久松静児、佐伯幸三他 東宝)もほぼ同じで、伴淳(伴淳三郎)もレギュラーだった。こんな役者を平行して使って2シリーズ作っていたんだから、あの頃は凄かった。そして面白かった。
とにかく笑いたい!それも脇の下を擽られるような笑いでなく、思考能力を刺激するような、思わず笑い出しそして止まらなくなるような笑いが私は好きだ。
そこには緻密な計算と細心の演技が織り成す芸があり、その芸人の一世一代の芸にもう一度私は乗ってみたい。
※芸人や役者の羅列は、私の思いつくままに並べたもので順不同です。
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