黒い瞳に想う‥
とにかく寒かった。
もう50余年も前のことだが(確か1956年だったと思う)、ダークダックスの「ともしび」がヒットして、ロシア民謡ブームが起きた。
そのすぐ後「カチューシャ」もヒットし、その年の秋から冬にかけて街中何処へ行っても、
♪夜霧の彼方へ 別れを告げ 雄々しきますらお 出でてゆく‥♪
♪りんごの花ほころび 川面に霞たち 君なき里にも 春はしのびよりぬ‥♪
と聴こえていた。
私の生まれ育った長野県伊那市は、長野県でも南の方だが西駒ケ岳(木曾駒ケ岳)からの風が冷たく寒く、歌のイメージと共にロシア民謡そのものが寒さの象徴として私の脳髄の奥に刻み込まれた。
「トロイカ」、「赤いサラファン」、「カリンカ」、「ステンカ・ラージン」、「ヴォルガの舟歌」、「アムール河の波」、「ポーリュシュカ・ポーレ」etc.
そのロシア民謡の中でも私は、特に「黒い瞳」に惹かれていた。
横殴りの吹雪の中、黒いショールをすっぽりと被り口元まで覆い塊りのようにひっそりと立っている女‥「黒い瞳」を聴くと、当時中学生だったがなぜかそんな光景が眼に浮かんでいた。とてもドラマチックだった。
ロシアの厳寒などまったく知らないが、とにかくあの頃の周りも寒かったが、曲もとても寒いという印象が強かった。
ところが前述の曲目は、歌詞を想い出しながら今でも概ね歌える。不思議なのは「黒い瞳」に日本語の歌詞の憶えがまったくないのである。
ダークダックスをはじめライバルのデューク・エイセス、ボニー・ジャックスも歌ってなかったのだろうか。とすれば当時私は何を聴いていたのだろうか。誰の演奏を聴いて、横殴りの吹雪の中にたたずむ黒いショールの女性を思い浮かべ惹かれていったのだろうか。
それからしばらく経ってから、ルイ・アームストロング&ザ・オールスターズの「オチチョニア」を聴いてから、ある時は「黒い瞳」、またある時は「ダーク・アイズ」、そしてまたある時は「オチチョニア」(ロシア語だと、「オーチ・チョールヌィエ」だそうだ)とハッキリと聴き分けている(?)。
サッチモの「オチチョニア」を聴いた時、へ~ェ!ジャズってこういう曲もやるんだ!とジャズを一層身近に感じたものである。
そういえばドラムスのジーン・クルーパのグループの「黒い瞳」もいい。
私が大好きなせいもあって、ライブやコンサートにはこの「Dark Eyes」をやってもらうことが多い。
鈴木直樹にはクラリネットで、テナーで、さらにカーブド・ソプラノサックスでと、それぞれの楽器の特性を活かしてやってもらう。とくにカーブド・ソプラノがいいなぁ。
1コーラスはソプラノサックスだけでルバート(曲想に合わせてテムポを柔軟に伸縮させて)で演奏し、2コーラス目からミディアム・テムポで全員入ってくる━この小気味の良いメリハリが大好きで、時々「Dark Eyes」を聴きたくなる。
この楽器1本だけの演奏はベースもいい。
もう3年ほど前になるが、ベースのジャンボ小野のHPづくりのお手伝いをして撮影をした時、いつかトップページにベースソロの「Dark Eyes」を入れようと写真スタジオで録音した。
これが実にいい演奏だが、未だに大切に仕舞ったままにしてある。何とか早くに日の目を見せようと思う。ジャンボのHP(Jumbo On Bass)にご注目ください。
永い事「Dark Eyes」をジャズで聴いていると、寒いというイメージはなくなってきた。大体演奏している若いミュージシャンにロシア民謡のイメージなど無いようだ。だからこちらもいつの間にか想い出さなくなっていた。
ところがあの東北関東大震災の報道で、横殴りの雪の中からの映像を見ていて、昔の冷たい寒さをふと想い出し、イメージ的には随分とかけ離れてはいるが、その寒さから「黒い瞳」が蘇ってきた。
言葉で表しようのない感慨と共に、あのロシア民謡の「黒い瞳」が重なり涙がこみ上げて来た。
ピアノのジョー蒲池がシャープス&フラッツに入団した直後(1973年)旧ソ連のハバロフスクで公演した時、今は亡きアルトの名手前川 元のロシア民謡「オチチョニア」の演奏を聴いて、超満員の会場のあちこちから啜り泣きが洩れたという話を想い出した。(ジャズピアニスト蒲池 猛 今昔物語)
はかり知れない胸に秘めたさまざまな想いがあるのだろう。
詞の内容からみれば、「黒い瞳」はもしかしたら災いなのかもしれない。しかしあんなにも美しく心にしみいるメロディーが災いのわけがないと思う。
東北関東大震災で被災されさまざまな試練に耐えて頑張っておられる皆さんに、心の中で「黒い瞳」をお贈りします。
頑張ってください。心から応援しています。
※敬称は略させていただいています。
もう50余年も前のことだが(確か1956年だったと思う)、ダークダックスの「ともしび」がヒットして、ロシア民謡ブームが起きた。
そのすぐ後「カチューシャ」もヒットし、その年の秋から冬にかけて街中何処へ行っても、
♪夜霧の彼方へ 別れを告げ 雄々しきますらお 出でてゆく‥♪
♪りんごの花ほころび 川面に霞たち 君なき里にも 春はしのびよりぬ‥♪
と聴こえていた。
私の生まれ育った長野県伊那市は、長野県でも南の方だが西駒ケ岳(木曾駒ケ岳)からの風が冷たく寒く、歌のイメージと共にロシア民謡そのものが寒さの象徴として私の脳髄の奥に刻み込まれた。
「トロイカ」、「赤いサラファン」、「カリンカ」、「ステンカ・ラージン」、「ヴォルガの舟歌」、「アムール河の波」、「ポーリュシュカ・ポーレ」etc.
そのロシア民謡の中でも私は、特に「黒い瞳」に惹かれていた。
横殴りの吹雪の中、黒いショールをすっぽりと被り口元まで覆い塊りのようにひっそりと立っている女‥「黒い瞳」を聴くと、当時中学生だったがなぜかそんな光景が眼に浮かんでいた。とてもドラマチックだった。
ロシアの厳寒などまったく知らないが、とにかくあの頃の周りも寒かったが、曲もとても寒いという印象が強かった。
ところが前述の曲目は、歌詞を想い出しながら今でも概ね歌える。不思議なのは「黒い瞳」に日本語の歌詞の憶えがまったくないのである。
ダークダックスをはじめライバルのデューク・エイセス、ボニー・ジャックスも歌ってなかったのだろうか。とすれば当時私は何を聴いていたのだろうか。誰の演奏を聴いて、横殴りの吹雪の中にたたずむ黒いショールの女性を思い浮かべ惹かれていったのだろうか。
それからしばらく経ってから、ルイ・アームストロング&ザ・オールスターズの「オチチョニア」を聴いてから、ある時は「黒い瞳」、またある時は「ダーク・アイズ」、そしてまたある時は「オチチョニア」(ロシア語だと、「オーチ・チョールヌィエ」だそうだ)とハッキリと聴き分けている(?)。
サッチモの「オチチョニア」を聴いた時、へ~ェ!ジャズってこういう曲もやるんだ!とジャズを一層身近に感じたものである。
そういえばドラムスのジーン・クルーパのグループの「黒い瞳」もいい。
私が大好きなせいもあって、ライブやコンサートにはこの「Dark Eyes」をやってもらうことが多い。
鈴木直樹にはクラリネットで、テナーで、さらにカーブド・ソプラノサックスでと、それぞれの楽器の特性を活かしてやってもらう。とくにカーブド・ソプラノがいいなぁ。
1コーラスはソプラノサックスだけでルバート(曲想に合わせてテムポを柔軟に伸縮させて)で演奏し、2コーラス目からミディアム・テムポで全員入ってくる━この小気味の良いメリハリが大好きで、時々「Dark Eyes」を聴きたくなる。
この楽器1本だけの演奏はベースもいい。
もう3年ほど前になるが、ベースのジャンボ小野のHPづくりのお手伝いをして撮影をした時、いつかトップページにベースソロの「Dark Eyes」を入れようと写真スタジオで録音した。
これが実にいい演奏だが、未だに大切に仕舞ったままにしてある。何とか早くに日の目を見せようと思う。ジャンボのHP(Jumbo On Bass)にご注目ください。
永い事「Dark Eyes」をジャズで聴いていると、寒いというイメージはなくなってきた。大体演奏している若いミュージシャンにロシア民謡のイメージなど無いようだ。だからこちらもいつの間にか想い出さなくなっていた。
ところがあの東北関東大震災の報道で、横殴りの雪の中からの映像を見ていて、昔の冷たい寒さをふと想い出し、イメージ的には随分とかけ離れてはいるが、その寒さから「黒い瞳」が蘇ってきた。
言葉で表しようのない感慨と共に、あのロシア民謡の「黒い瞳」が重なり涙がこみ上げて来た。
ピアノのジョー蒲池がシャープス&フラッツに入団した直後(1973年)旧ソ連のハバロフスクで公演した時、今は亡きアルトの名手前川 元のロシア民謡「オチチョニア」の演奏を聴いて、超満員の会場のあちこちから啜り泣きが洩れたという話を想い出した。(ジャズピアニスト蒲池 猛 今昔物語)
はかり知れない胸に秘めたさまざまな想いがあるのだろう。
詞の内容からみれば、「黒い瞳」はもしかしたら災いなのかもしれない。しかしあんなにも美しく心にしみいるメロディーが災いのわけがないと思う。
東北関東大震災で被災されさまざまな試練に耐えて頑張っておられる皆さんに、心の中で「黒い瞳」をお贈りします。
頑張ってください。心から応援しています。
※敬称は略させていただいています。
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