我が愛するギタリスト、蓮見芳男…蓮見さん!
それは昨日朝(7月13日)、クラリネット(アルト・サックス)の鈴木孝二さんからの、携帯へのメールで知らされた。
悪い知らせです。蓮見さんが亡くなられました‥
ああ、悪い予感があたってしまった。
一昨日の朝、何となく心の中を過ったのだが、そんな馬鹿なことを、と慌てて打ち消していた。
というのは、先月6月29日の鈴木正男 & SWING TIMESの南青山MANDALAでのライブを休んだ。
その時の孝二さんの話だと、「疲れる。背中が痛い。」と言っていたという。
それに「近くの喫茶店まで行くから会おうか!」と言うと、それも無理だから家へ来て、と言っていたそうだ。
その時、相当まずいんだろうか、心配だな、と思った。

4月26日の、やはりMANDALAでのライブの時にお会いしたのが最後になってしまった。
それも二言か三言の会話だった。その時も「疲れてダメだ‥」と言っていた。言葉が継げられなかった。
お客さんに話しかけられ応対している時、スーッと離れて行って、それきりになってしまった。
私が広告代理店を辞めてフリーランサーになった時、好きなだけではなくジャズの世界を歩いてみたい、と鈴木正男 & SWING TIMESのお手伝いをするようになった時からのお付き合いである。ほぼ20年になる。
それからまだ20代の鈴木直樹を応援しながらSwing Aceの名のもとにコンボを組み、細々とライブ活動をし研鑚を積んでいる時に、最初から加わっていただきバックを支えてくれていたのが蓮見さんだった。
私が「りんご追分」をやりたいと言えば、シャレたリフを入れて書いてきてくれた。
アコーデオンのアート・ヴァン・ダムのような切れのあるリズミカルな曲が欲しいね、と言えば「Tea For Two」と「Stumbling」をアート・ヴァン・ダムのアルバムの中から起こしてきてくれた。
そう言えばそれっきりになってしまったが、滝廉太郎の「花」をやりたいね、と5~6年前に注文出していたことを想い出した。
蓮見さんにはずいぶんいろいろと教えてもらった。
いずれ本を書きたいと思っていたので、昔のジャズマンのこと、さまざまなエピソードのこと、さらには演奏上のことなど‥いろいろと教わった。
メモをとってあるが完ぺきではないので、さらに聞いて充実させようと思っていたところである。
そんな中で面白い話は、1957年にベニー・グッドマンと一緒に来日したピーナッツ・ハッコーが、新宿でライブをやっていたレイモンド・コンデとゲイ・セプテットのところへ遊びに来て、一緒に「Rose Room」をやったんだそうだ。
その時のピーナッツ・ハッコーのクラリネットの音を聴いて、以後しばらくレイモンド・コンデは調子を狂わせて吹けなかったそうだ。
その位ピーナッツ・ハッコーの音からしてが違っていたそうだ。
鈴木章治の「鈴懸の径」のエピソードの裏に隠れて、こんな話も面白いと思った。
それから四国松山での平岡精二クインテットの「Stardust」テープの話も、蓮見さんから教えてもらい、そのテープも譲ってもらった。

いつでも続きを聞けるような気になっていたが‥残念だ。ホントに残念だ。
あんなギターはもういまい。
鈴木孝二さんも、蓮見さんのギターと古里(純一)さんのベースでトリオを組んでいた。
これからどうしよう!蓮見さんの代わりになる様なギター、そういないよね‥と頭を抱えていた。
SWING TIMESも蓮見さんが休みがちになっても、蓮見さんの代わりを探すなんて大変だよ。空けて待ってるから来られるときに来てよ!(鈴木正男)と言っていた。
3年ほど前になるだろうか、六本木で蓮見さんリーダーのライブをしたことがある。
その時、ヴォーカルが終わってタイトルも言わずに弾き出した「Cocktails For Two」が良かった。こういうナンバーは絶品だったなぁ…
蓮見さんについては書きたいことがいっぱいだ。今度資料を整理して、じっくり書いてみよう。
そう言えば松茸蕎麦を作って喰う約束をしていたなぁ。そんなもの、早くやっときゃ良かった。何故やらなかったんだろう‥
蓮見さん、いろいろとありがとうございました。
私の毎日のように思う、音楽が好きで良かった!という感慨のほとんどは、蓮見さんの影響によるものです。
心から、お礼を申し上げます。
ゆっくりとお休みください。
ご苦労様でした。
(合掌)
※写真上から
●今年(2011年)2月28日、鈴木正男 & SWING TIMES 南青山MANDALAのライブにて。
前はco-leaderでシンガーの長田明子。後ろはピアニストの大橋高志。
この後、4月26日の同じ鈴木正男 & SWING TIMES 南青山MANDALAでの演奏がラストとなる。
●1979年3月21日、レイモンド・コンデとゲイ・セプテットとして与田輝夫らと、厚木基地でのパーティに出演した時。生前、蓮見さんより資料としてお借りした写真の一枚。
※蓮見さんについては、鈴木正男 & SWING TIMESのブログ「Let's Swing!」にも『ギタリスト、蓮見芳男!』と『ありがとう!蓮見さん。』を掲載してあります。
悪い知らせです。蓮見さんが亡くなられました‥
ああ、悪い予感があたってしまった。
一昨日の朝、何となく心の中を過ったのだが、そんな馬鹿なことを、と慌てて打ち消していた。
というのは、先月6月29日の鈴木正男 & SWING TIMESの南青山MANDALAでのライブを休んだ。
その時の孝二さんの話だと、「疲れる。背中が痛い。」と言っていたという。
それに「近くの喫茶店まで行くから会おうか!」と言うと、それも無理だから家へ来て、と言っていたそうだ。
その時、相当まずいんだろうか、心配だな、と思った。

4月26日の、やはりMANDALAでのライブの時にお会いしたのが最後になってしまった。
それも二言か三言の会話だった。その時も「疲れてダメだ‥」と言っていた。言葉が継げられなかった。
お客さんに話しかけられ応対している時、スーッと離れて行って、それきりになってしまった。
私が広告代理店を辞めてフリーランサーになった時、好きなだけではなくジャズの世界を歩いてみたい、と鈴木正男 & SWING TIMESのお手伝いをするようになった時からのお付き合いである。ほぼ20年になる。
それからまだ20代の鈴木直樹を応援しながらSwing Aceの名のもとにコンボを組み、細々とライブ活動をし研鑚を積んでいる時に、最初から加わっていただきバックを支えてくれていたのが蓮見さんだった。
私が「りんご追分」をやりたいと言えば、シャレたリフを入れて書いてきてくれた。
アコーデオンのアート・ヴァン・ダムのような切れのあるリズミカルな曲が欲しいね、と言えば「Tea For Two」と「Stumbling」をアート・ヴァン・ダムのアルバムの中から起こしてきてくれた。
そう言えばそれっきりになってしまったが、滝廉太郎の「花」をやりたいね、と5~6年前に注文出していたことを想い出した。
蓮見さんにはずいぶんいろいろと教えてもらった。
いずれ本を書きたいと思っていたので、昔のジャズマンのこと、さまざまなエピソードのこと、さらには演奏上のことなど‥いろいろと教わった。
メモをとってあるが完ぺきではないので、さらに聞いて充実させようと思っていたところである。
そんな中で面白い話は、1957年にベニー・グッドマンと一緒に来日したピーナッツ・ハッコーが、新宿でライブをやっていたレイモンド・コンデとゲイ・セプテットのところへ遊びに来て、一緒に「Rose Room」をやったんだそうだ。
その時のピーナッツ・ハッコーのクラリネットの音を聴いて、以後しばらくレイモンド・コンデは調子を狂わせて吹けなかったそうだ。
その位ピーナッツ・ハッコーの音からしてが違っていたそうだ。
鈴木章治の「鈴懸の径」のエピソードの裏に隠れて、こんな話も面白いと思った。
それから四国松山での平岡精二クインテットの「Stardust」テープの話も、蓮見さんから教えてもらい、そのテープも譲ってもらった。

いつでも続きを聞けるような気になっていたが‥残念だ。ホントに残念だ。
あんなギターはもういまい。
鈴木孝二さんも、蓮見さんのギターと古里(純一)さんのベースでトリオを組んでいた。
これからどうしよう!蓮見さんの代わりになる様なギター、そういないよね‥と頭を抱えていた。
SWING TIMESも蓮見さんが休みがちになっても、蓮見さんの代わりを探すなんて大変だよ。空けて待ってるから来られるときに来てよ!(鈴木正男)と言っていた。
3年ほど前になるだろうか、六本木で蓮見さんリーダーのライブをしたことがある。
その時、ヴォーカルが終わってタイトルも言わずに弾き出した「Cocktails For Two」が良かった。こういうナンバーは絶品だったなぁ…
蓮見さんについては書きたいことがいっぱいだ。今度資料を整理して、じっくり書いてみよう。
そう言えば松茸蕎麦を作って喰う約束をしていたなぁ。そんなもの、早くやっときゃ良かった。何故やらなかったんだろう‥
蓮見さん、いろいろとありがとうございました。
私の毎日のように思う、音楽が好きで良かった!という感慨のほとんどは、蓮見さんの影響によるものです。
心から、お礼を申し上げます。
ゆっくりとお休みください。
ご苦労様でした。
(合掌)
※写真上から
●今年(2011年)2月28日、鈴木正男 & SWING TIMES 南青山MANDALAのライブにて。
前はco-leaderでシンガーの長田明子。後ろはピアニストの大橋高志。
この後、4月26日の同じ鈴木正男 & SWING TIMES 南青山MANDALAでの演奏がラストとなる。
●1979年3月21日、レイモンド・コンデとゲイ・セプテットとして与田輝夫らと、厚木基地でのパーティに出演した時。生前、蓮見さんより資料としてお借りした写真の一枚。
※蓮見さんについては、鈴木正男 & SWING TIMESのブログ「Let's Swing!」にも『ギタリスト、蓮見芳男!』と『ありがとう!蓮見さん。』を掲載してあります。
| 追悼 蓮見芳男 | 16:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑