浦メシ屋奇談

音楽のこと(特にSwing Jazz)、ミステリーのこと、映画のこと、艶っぽいこと、落語のこと等々どちらかというと古いことが多く、とりあえずその辺で一杯やりながら底を入れようか(飯を喰う)というように好事家がそれとなく寄合う処。“浦メ シ屋~っ!”

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談志が死んだ。

15~6年前まで、私は立川談志の噺があまり好きではなかった。

六つか七つの頃から大人に混じってラジオで落語を聞いていて‥桂三木助(三代目)、三遊亭金馬(三代目)、三遊亭円歌(二代目)、三笑亭可楽(八代目)、春風亭柳橋(六代目)、春風亭柳好(三代目)、古今亭今輔(五代目)、桂文楽(八代目)、古今亭志ん生(五代目)、三遊亭円生(六代目)、柳家小さん(五代目)、柳亭痴楽(四代目)など、ラジオに噛り付いて聞いていた。
NHK以外の放送は、田舎のことでシャーシャー言うラジオでやっと聞いていたのを思い出す。

私が立川談志を知ったのはそんな頃からさらに5~6年経ってから、真打に昇進(1963年)してからで、良く知るようになったのは日本テレビの「笑点」の司会をするようになってからだ。(1963年)
先日NHKを観ていると、あの「笑点」の司会も初代となっているが、本当は番組企画を考えた時、三遊亭円楽(六代目)を立てていたらしい。
ところがいざ開けてみたら下手糞でどうにもこうにもならないんで(さもありなん)、しょうがなく談志自身でやることになったと言うことで、正式には二代目だと自ら言っていた。

談志の何を最初に聞いたか憶えていないが、何だか小うるさい落語だな、と感じたのを憶えている。
それに握った左手の突き出た第二間接を左ひざに立てて座っている仕草や、右手の人差し指と親指だけを立てて動かす仕草と同時に首を前に突き出し口を曲げる仕草。
さらに上下の顎を少しずらして口を開き、「あー、あー!」と相槌を打ったり頷いたりする仕草‥
当初、私はこれらが気になって気になって仕方がなく、噺を聞いていられなかった。

そのうちに「落語は人間の業の肯定だ」と言う落語論を聞くにいたっては、落語はとてつもなく大変なものなのだ、と首を引っ込めそうになった。
どこかの誰かじゃないが「たかが落語でげしょ!」と、懐手に鼻歌で科を作って通り過ぎようかと思ったものだ。

大好きとはいえ、大体落語をそんな視点で眺めたことも考えたこともなかった。
三木助の「芝浜」や「へっつい幽霊」、金馬の「居酒屋」や「薮入り」、可楽の「らくだ」や「うどんや」「二番煎じ」、あるいは柳好の「野ざらし」や「青菜」、さらに文楽の「明烏」や「船徳」等々など‥ただただうまいなぁ!面白い!と喜んでいただけなのだ。(もちろん、それで良い筈だが‥)

が、演じる側は時代背景だの生活習慣だのを考え、人情だの非情だの、常識を逆手に取った残酷さなど、誰もが持っているであろう人間の裏までをあっさりと曝け出して、その手際の良さで笑わせる、工夫をしているのである。
浅はかにも初めてそんなことを考えてみて、そうかだから落語は面白いのだ、離れられないのだとおもうと同時に、やはり落語は大変なものだと改めて思ったものだ。

そんな時、談志自身が弟子に「野ざらし」の稽古をつけているCDを聴いた(「談志の世界」。
これは面白かった。普通なら、師匠が弟子に稽古をつけているところなどに立ち会えるわけがないのだが、これはいろいろな意味で噺家でもない我々のためにもなった。
このCDを聴いて、多少大げさに言えば、落語が自分の人生に如何に役立っているかと言うことに気が付いたのである。

何でも無いような一言でも、キーになる言葉と言うのがある。
「野ざらし」の中の━
夕べとなりの隠居のところへ訊ねてきていた女が、実はこの世のものではなかったと八っつぁんが知るところで━「あんないい女ならおば(お化け)でも、ゆうた(幽霊)でも━」と言う。
このくだりを調子よくつらつらとやっておいて、突然「こう言う言葉は残しておけよ!」とポンと言っておいて、サッサと次へ行ってしまった。
これは、その前にも熟語(忘れられていく言葉)に対する配慮をしなさい、と言っているが、いかにもこう言う表現は落語のセンスとして残していくべきだ、と言っているような気がした。
ちなみに柳好(三代目)はここは「ゆうてき」と言っている。

それから「野ざらし」の聞かせ場の一つに、釣りをしていた隠居がまったく釣れないので帰ろうと糸・竿を仕舞っていると、金龍山浅草寺で打ち出だす暮れ六つの鐘(柳好だと、多門寺入会の鐘)が陰に籠もって物凄くボーンと鳴ったなぁ━
「四方の山々雪溶けかけて、水かさ増さる大川の、上潮南に岸を洗う水の音がザブーリ、ザブリ‥」とのやはり名調子のくだりがあるが、ここで談志は━
「これ、春と夏が一緒んなっていて可笑しいんだ。可笑しいんだけど昔からこうやってるんだからこれはこれでいい、と言うんならこのままやればいいし、可笑しいと思えばやめればいい。」
つまり自分の噺として、どんなことでも自分の中でちゃんと筋を通してやれ、と言うことらしい。
なるほど、師匠の噺を口移しで教わり、そのまんまをやるとは思わないが、例えちょっとした一言でも諸々を考えた上でしゃべると、噺の奥行きや味わいが違ってくるのに違いない。面白いものだと思った。

この人はやっぱり凄い人なんだろうなと思い始めたのは、十数年前になるか「鉄拐」を聞いたときだと思う。
断っておくが、私が聞いた「鉄拐」は名演と評判の高座(2007年)のものではなく、もっと前のものである。
その時、こんな地味な噺をじっくりとやる談志と言う噺家はなんなんだろう、と思ったものだ。
もっと面白い得意な噺がいっぱいあるんだからそれをやればいいのに、ここに立ち会った客はついてないナ、などと思いながらいつの間にか引き込まれていったのを憶えている。
その時は、以前気なって仕方がなかった仕草のあれこれがまったく気にならなかった。というより、そんな仕草をしていたのかどうかも憶えていない。

落語は面白いことを言うから面白いのではなく、その噺家のセンスが面白いのである。
志ん生がやったくすぐりを志ん朝がやっても、さほど可笑しくなかったことがある。親子とはいえ、志ん生にはあっても志ん朝にはそのくすぐりのセンスが無かったのだと思う。
落語はそのそれぞれのセンスで噺を、言葉を裁く手際の良さが可笑しいのだろう、とその時の談志の「鉄拐」を聞いていて思ったものだ。

そういえば、前述のCDの「談志の世界」の中に、池袋演芸場での漫談が入っている。
その中に━
「昨日、3時間も『芝浜』をやったら、声がこんなんなっちゃった。喉が弱くて━医者に言わせると20パーセントぐらい喉頭がんになる可能性を持っている、と言われた━」と言っている。
この頃から喉はあまり良くなかったのだろうか。入院するのはそれからまだズーッと後のことだが━

古今亭志ん朝が亡くなった時は、あのとんとんとんとん、と調子で話す噺が年をとったらどうなるのか確かめられなくなったのが残念だったが、仕方がないと諦めた。
立川談志がいなくなった今は、ただただ、もっともっと聞いておけば良かった、と日が経つにつれて残念に思うこと仕切りである。

それと浪曲や漫談などのお笑いと寄席芸、いやお笑いに限らずフレッド・アステアなど海の向こうの芸やジャズなどの博識さと分析の面白さ‥やはり持ってっちゃったんだろうね、向こうへ。ああ、もったいない‥。

※敬愛の念を込めて、敢えて敬称は略させていただいています。

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